「死の医学」への日記
2006年8月25日 読書
ISBN:4101249156 文庫 柳田 邦男 新潮社 1999/03 ¥660
今読んでいる本。
電車の中で思わず泣いた。
とは言え「エグエグ」という状態ではないですが。
それ位に下手な小説作品よりいいと思う。
考えさせられる部分も多い。
でも、それを読んでいる隣では、若いニーチャンがバカ騒ぎをしている。
その状況に頭が痛くなって、デパスを飲むに至る。
こんな話が書かれていたので、かいつまんで引用する。
非常に面白いと思ったので、引用してみた(いくらかの省略あり)。
私はかねて、「頑張る」という言葉が嫌いで、「頑張る」という言葉に対しての「良さ」を余り感じていない。いや、『良さ』は多分幾分かはあろうけれども、「悪さ」もそこには存在することを知っているからだ。
「頑張る」って、何を?
「頑張る」って、どこまで?
「頑張る」って、どうして?
「頑張る」って、何を目的に?
「頑張る」って、どんな状態?
「がんばる」という言葉を考えるにつけ、どこまで行ってもその先には到着できないような恐ろしさを感じる。いわば「無間地獄」(ちなみにこの「無“間”」は正しい表記)。「頑張る」ためには苦労を避けて通れないが、その「苦労」という地獄は無限に続いている。だからこそ、「頑張る」という言葉を安易に使うことを自分はしていない。
だけど、それ以上にこの言葉を深く考えている人がいることに感動をし、そしてこの柳田邦夫氏の見る目の広さに感動し、この本を読んでいる。
久しぶりにヒットの作品だ。
そして、改めて言わせてもらう。
頑張るな
・・・と。
今読んでいる本。
電車の中で思わず泣いた。
とは言え「エグエグ」という状態ではないですが。
それ位に下手な小説作品よりいいと思う。
考えさせられる部分も多い。
でも、それを読んでいる隣では、若いニーチャンがバカ騒ぎをしている。
その状況に頭が痛くなって、デパスを飲むに至る。
こんな話が書かれていたので、かいつまんで引用する。
東海女子大学文学部・歴史人類学研究者の天沼香教授の「『頑張り』の構造」と言う本の中で、天沼教授は「日本人はなぜ『頑張る』のか」と言う点に絞りこみ、歴史的、文化論的な視点からの分析によって「頑張り」の精神を日本人のコア・パーソナリティー(国民性の中核をなす特性)の一つとして位置づけている。そして、日本の近現代史においてこの言葉が果たした役割を重視し、「頑張り」の精神は明治維新以降の日本の急速な近代化を推進する力となった反面、いつしか「頑張れば何とかなる」という幻想を醸成し、日本人を無謀な大東亜戦争に駆り立て、特攻作戦までも生み出したと指摘している。
非常に面白いと思ったので、引用してみた(いくらかの省略あり)。
私はかねて、「頑張る」という言葉が嫌いで、「頑張る」という言葉に対しての「良さ」を余り感じていない。いや、『良さ』は多分幾分かはあろうけれども、「悪さ」もそこには存在することを知っているからだ。
「頑張る」って、何を?
「頑張る」って、どこまで?
「頑張る」って、どうして?
「頑張る」って、何を目的に?
「頑張る」って、どんな状態?
「がんばる」という言葉を考えるにつけ、どこまで行ってもその先には到着できないような恐ろしさを感じる。いわば「無間地獄」(ちなみにこの「無“間”」は正しい表記)。「頑張る」ためには苦労を避けて通れないが、その「苦労」という地獄は無限に続いている。だからこそ、「頑張る」という言葉を安易に使うことを自分はしていない。
だけど、それ以上にこの言葉を深く考えている人がいることに感動をし、そしてこの柳田邦夫氏の見る目の広さに感動し、この本を読んでいる。
久しぶりにヒットの作品だ。
そして、改めて言わせてもらう。
頑張るな
・・・と。
漸く読み終えた「きけわだつみのこえ」(岩波文庫)
2006年8月23日 読書
気になった部分を取り上げて行きたいと思う。
読書感想文然り、改憲論者然り、好戦的な者然り、様々な人に読んでもらいたいからだ。
長いので、注意。
無論、興味のない方は飛ばして頂いて全く問題がない。BLやブレストとは何の縁もないのですから。
アベシンゾーくんは、この文章を何と読むのだろうか。非常に知りたい。
そして、
中韓が嫌いな人間は、こういう文章を読んでみるといい。虐待は確かにあったんですよ。こうした人間が嘘を書いているとでも言うなら、それこそ英霊への侮辱であるはずだ。だったら、やはり日本は平和にしなければならないのではないか。中韓と憎しみあうよりも、昔のこういう事象をきちんと捉え、日本人は謙虚に生きるべきではないのか。
無論、うちの父親は認知症になる前、生前にこう言っていた。
と。
今の時代、今の世代だけでアジアを捉えるのではなく、やはり80年90年と生きている人間の世代も含めてアジアを捉えなければ、いつまで経っても戦後は終わらないはずだ。
アベシンゾーがおそらくシュショーとやらになってしまうだろう。
そうなれば、もっとこういう私のようなことを考える人間はマイノリティーになってしまうのだろう。おそらくは某巨大掲示板あたりでこういう文章をコピペしては笑い者にしていることだろうと思う。
でも。
自分は間違っていないと確信するし、これからもこのスタンスを変えるつもりはない。これからどんどん右傾化していってもだ。このブログと自分のリアルの生活では、きちんと物事を筋道立てて考えるようでありたいと思う。
最後にこの言葉。
・ジャン・ジョレース〜
「私は合法性への迷信を持つものではないが、暴力は人間としての弱さであると思う」
読書感想文然り、改憲論者然り、好戦的な者然り、様々な人に読んでもらいたいからだ。
長いので、注意。
無論、興味のない方は飛ばして頂いて全く問題がない。BLやブレストとは何の縁もないのですから。
木村 久夫
京大経済学部学生。昭和17年10月入営。21年5月23日シンガポール、チャンギー刑務所において戦犯刑死。陸軍上等兵。28歳。
(前略)
日本は負けたのである。全世界の憤怒と非難との真只中に負けたのである。日本がこれまであえてして来た数限りない無理非道を考える時、彼らの怒るのは全く当然なのである。今私は世界全人類の気晴らしの一つとして死んで行くのである。これで世界人類の気持が少しでも静まればよい。それは将来の日本に幸福の種を遺すことなのである。
私は何ら死に値する悪をした事はない。悪を為したのは他の人々である。しかし今の場合弁解は成立しない。江戸の敵を長崎で討たれたのであるが、全世界から見れば彼らも私と同じく日本人である。彼らの責任を私がとって死ぬことは、一見大きな不合理のように見えるが、かかる不合理は過去において日本人がいやというほど他国人に強いてきた事であるから、あえて不服はいい得ないのである。彼らの眼に留った私が不運とするより他、苦情の持って行きどころはないのである。日本の軍隊のために犠牲になったと思えば死に切れないが、日本国民全体の罪と非難とを一身に浴びて死ぬと思えば腹も立たない。笑って死んでいける。
(中略)苦情をいうなら、敗戦と判っていながらこの戦を起した軍部に持って行くより仕方ない。しかしまた、更に考えを致せば、満州事変以来の軍部の行動を許して来た全日本国民にその遠い責任があることを知らねばならない。
我が国民は大きな反省をなしつつあるだろうと思う。その反省が、今の逆境が、将来の明るい日本のために大きな役割を果すであろう。それを見得ずして死ぬのは残念であるが致し方がない。日本はあらゆる面において、社会的、歴史的、政治的、思想的、人道的の試練と発達とが足らなかった。万事に我が他より勝れたりと考えさせた我々の指導者、ただそれらの指導者の存在を許して来た日本国民の頭脳に責任があった。
かつてのごとき、我に都合の悪しきもの、意に添わぬものは凡て悪なりとして、ただ武力をもって排斥せんとした態度の行き着くべき結果は明白になった今こそ凡ての武力腕力を捨てて、あらゆるものを正しく認識し、吟味し、価値判断することが必要なのである。これが真の発展を我が国に来す所以の道である。
(中略)凡ての物語が私の死後より始まるのは悲しいが、私にかわるもっともっと立派な頭の聡明な人が、これを見、かつ指導して行ってくれるであろう。何といっても日本は根底から変革し、構成しなおさなければならない。若き学徒の活躍を祈る。
(中略)
我々罪人を看視しているのは、もと我軍に俘虜たりし「オランダ軍」の兵士である。かつて日本軍兵士より大変なひどい目に遇わされたとかで、我々に対するシッペイ返しは相当のものである。殴る蹴るなどは最も優しい部類である。しかし我々日本人もこれ以上の事をやって来たのを思えば文句はいえない。ブツブツ文句をいっている者に陸軍の将校の多いのは、かつての自己の所行を棚に上げたもので、我々日本人さえもっともだとは思われない。一度も俘虜を扱った事のない、また一度もそんな行為をした事がない私が、かようなところで一様に扱われるのは全く残念ではあるが、しかし向うからすれば私も同じ日本人である。区別してくれという方が無理かも知れない。しかし天運なのは私は一度も殴られた事も蹴られた事もない。大変皆から好かれている。我々の食事は朝、米粉と糊と夕方に粥を食う二食で、一日中腹がペコペコで、ヤット歩けるくらいの精力しかない。しかし私は大変好かれているのか看視の兵隊がとても親切で、夜分こっそりと「パン」「ビスケット」煙草などを持って来てくれ、昨夜などは「サイダー」を一本持って来てくれた。私は全く涙が出た。その物に対してよりもその親切にである。その中の一人の兵士があるいは進駐軍として日本へ行くかも知れぬというので、今日私は私の手紙を添えて私の住所を知らせた。この兵士らは私のいわば無実の罪に非常に同情して親切にしてくれるのである。大局的には極めて反日的である彼らも、個々の人として接しているうちには、かように親切にしてくれる者も出て来るのである。やはり人間同志だと思う。
この兵士はかつて我軍の俘虜となっていたのであるが、その間に日本の兵士より殴る、蹴る、焼くの虐待を受けた様子を語り、何故日本兵士にはあれほどの事が平気で出来るのか全く理解が出来ないといっていた。また彼には、日本婦人の社会的地位が低い事が理解できぬ事であるらしい。
(中略)
私は生きるべく、私の身の潔白を証明すべくあらゆる手段を尽した。ワタシの上級者たる将校連より法廷において真実の陳述をなすことを厳禁せられ、それがため、命令者たる上級将校が懲役、被命者たる私が死刑の判決を下された。これは明らかに不合理である。(中略)美辞麗句ばかりで内容の全くない、彼らのいわゆる「精神的」なる言語を吐きながら、内実においては物慾、名誉慾、虚栄心以外の何ものでもなかった軍人たちが過去において為して来たと同様の生活を将来において続けて行くとしても、国家に有益なる事は何ら為し得ないのは明白なると確信するのである。日本の軍人中には偉い人もいたであろう。しかし私の見た軍人中には偉い人は余りいなかった。早い話が高等学校の教授ほどの人物すら将軍と呼ばれる人々の中にもいなかった。監獄において何々中将、何々大佐という人々に幾人も会い、ともに生活して来たが、軍服を脱いだ赤裸の彼らは、その言動において実に見聞するに耐えないものであった。(中略)彼らが大言壮語していった「忠義」「犠牲的精神」はどこへやったか。終戦により外身を装う着物を取り除かれた彼らの肌は、実に見るに耐えないものだった。
しかし国民はこれらの軍人を非難する前に、かかる軍人の存在を許容し、また養って来た事を知らねばならない。結局の責任は日本国民全体の知能程度が浅かった事にあるのである。知能程度の低い事は結局歴史の浅い事だ。二千六百余年(注:「皇紀」、つまり「皇暦」をさしているものと思われる)の歴史があるというかも知れないが、内容の貧弱にして長いばかりが自慢にはならない。(中略)
私の軍隊生活において、将校連が例の通り大言壮語していた。私が婉曲ながらその思想に反対すると「お前は自由主義者だ」と一言の下に撥ね付けられたものだ。軍人社会で見られた罪悪は、枚挙すれば限りがない。それらは凡て忘却しよう。彼らもやはり日本人なのであるから。しかし一ついっておきたい事は彼らは全国民の前で腹を切る気持で謝罪し、余生を社会奉仕のために捧げなければならないことである。(後略)
アベシンゾーくんは、この文章を何と読むのだろうか。非常に知りたい。
そして、
川島 正
昭和15年東京農大卒業。同年12月入営。華北部隊に編入。20年1月華中にて戦死。29歳。
昭和十八年一月三十一日 晴
(中略)中沢隊の一兵が一支那人(注:この場合の「シナ」は差別的用語でもあるが、文意を考慮してママ表記させて頂く)を岩石で殴打し、頭蓋骨が割れて鮮血にまみれ地上に倒れた。それを足蹴にし、また石を投げつける。見るに忍びない。それを中沢隊の将校も冷然と見ている。高木少尉の指図らしい。冷血漢。罪なき民の身の上を思い、あの時何故後れ馳せでも良い、俺はあの農夫を助けなかったか。自責の念が起る。女房であろう、血にまみれた男にとりついて泣いていた。しかし死ななかった。軍隊が去ると立ち上がって女房に支えられながらトボトボ歩き去った。
俺の子供は軍人にはしない。軍人にだけは・・・・・・平和だ、平和の世界が一番だ。
(後略)
中韓が嫌いな人間は、こういう文章を読んでみるといい。虐待は確かにあったんですよ。こうした人間が嘘を書いているとでも言うなら、それこそ英霊への侮辱であるはずだ。だったら、やはり日本は平和にしなければならないのではないか。中韓と憎しみあうよりも、昔のこういう事象をきちんと捉え、日本人は謙虚に生きるべきではないのか。
無論、うちの父親は認知症になる前、生前にこう言っていた。
「自分は兵隊には出た。でも基本的には炊事場にいた(調理師のため)から、銃は殆ど持っていない。だから、自分は中国の人間ともそれ相応に良くやっていた。でも、悪いことをやっている人間はもっといた」
と。
今の時代、今の世代だけでアジアを捉えるのではなく、やはり80年90年と生きている人間の世代も含めてアジアを捉えなければ、いつまで経っても戦後は終わらないはずだ。
アベシンゾーがおそらくシュショーとやらになってしまうだろう。
そうなれば、もっとこういう私のようなことを考える人間はマイノリティーになってしまうのだろう。おそらくは某巨大掲示板あたりでこういう文章をコピペしては笑い者にしていることだろうと思う。
でも。
自分は間違っていないと確信するし、これからもこのスタンスを変えるつもりはない。これからどんどん右傾化していってもだ。このブログと自分のリアルの生活では、きちんと物事を筋道立てて考えるようでありたいと思う。
最後にこの言葉。
・ジャン・ジョレース〜
「私は合法性への迷信を持つものではないが、暴力は人間としての弱さであると思う」
社会は「個人主義」というけれど、それは違う。
「利己主義」である。
これは明治時代にすでに夏目漱石によって語られている。それがこの本、「私の個人主義」という講演集に書かれている。
私の座右の銘が詰まった一冊です。
=== また以下は長く難解な言い回し多用です。苦手な人はスルー下さい ===
NHKで「ワーキングプア」をテーマにした番組を見る。
その昔、日本では「物乞い」といういわば職業となっている人がいた。各家庭を回り、「おにぎりを頂戴」と回って食費を浮かす人。無論今で言う所の「ホームレス」なんだけれど、それでも今よりは暮らしやすかったに違いない。一方、小学校の前には「カラーひよこ」を売っている「いかにも」なおじさんがいた。または夏休みの映画(「東映マンガまつり」とか)チケットの割引券を配り歩く人やら、通信添削講座の勧誘などが出没したりして、翌日の朝礼なんかで「変な勧誘には気をつけましょう」という校長の言葉を聞くことになっていた。また、「押し売り」という職業もあった。「俺は昨日ムショから出てきたばかりなんだ。生活に困っているからゴムひもを買わねぇか?」とどすの聞いた声で話しながら、包丁と一緒に(ということになるんだけど実際には「これはよく斬れるんだよ」などと口上を延べ「脅して買わせる」ツールとして用いていた)売り歩いていた。まぁ、これも今では絶対に存在できないはずであるし迷惑な職業ではあるけれども、その時代には何と言うか、社会と底辺社会というものが今ほど乖離していないような社会だったと思う。少なくても、こうした職業というものは私が小学生まではあったと思うが、あの時代はそんな時代だった。
自分も「非正規雇用」の人間、派遣社員なので言えることではあるが、やっぱりこれはコイズミちゃんを初めとするカイカクのせいなんですよ。
もっと言うと、戦後日本長い期間をかけて培われてきた「利己主義」の賜物ではなかろうか、と。
「税金を払ってそれが底辺社会に行くのは許せない」
「底辺社会の人間は努力が足りないからだ」
これを利己主義といわず、何と言えるかということです。
底辺の人間でも相応の稼ぎに応じての税金は払っています。いやもっと払っているのではないでしょうか。生活費における税率に関して言えば。
どこぞの大学のオエライ先生はこんなことを言ってました。
「トライできる日本に出来ることが重要です。トライして失敗して負けたとき、その人に税金を投入するのはどうかと思いますが」
というようなことを。
とってもオエライ先生のようで、まぁそういう先生に日本を真剣に考えてもらって日本の将来はとてつもなく明るいものになりそうですが、それはともかく、某ゴーマニズムな先生にも似ていらっしゃいました。こういうことを考える先生と言うのは、みんな似てくるものなんですね、という発見も私にはビックリでした。
閑話休題。
つまり、こういう先生は、
「セーフティーネットは必要ない」
「失敗したのはその人の努力が足りないから失敗したのだから、自己責任だ」
「自己責任だから、失敗した貧乏人は耐えて苦しんで生きていけ」
ということを我々に教えてくれたんですね。
果たして、この先生の言うことが正しいのか??
いや、正しいわけないだろう。
努力をしても報われない、それは何かの原因はあるだろうしまた何かの時代性というものもあろう。
それなのに個人のせいにだけして、周りの人間はそれを「個人の自己責任」として見ないふりをする。先にも書いた「自分は兵隊として戦地には赴きたくないけど、どうせ自衛隊が行ってくれるんでしょ?だったら戦争してもいいんじゃない?」というのと同様、「個人」対「個人」の希薄なつながりによるものではないだろうか、と心から後ろ寒く思う。そして、そのノンノンと見ている側の人間は「自分はバカを見たくないから」とちょっとの喜捨も許さぬ「利己主義」の塊で相手を見ている。その冷酷な魂を感じるにつけ、これまた一抹の寒さを覚える。
ここで私は「喜捨」と書いたが、「喜捨」はおそらく日本ではなかなか浸透しないことではないだろうか。古来の日本では仏教に帰依するなどに於いてなされたことであるが、例えばヒルズ族で大成功を収めた人間が、例えばマイクロソフトのビル・ゲイツのように大きな「喜捨」つまり「寄付」をしているとは聞こえてこない。まぁ、これは一因として「寄付」をしても税金対策にならないという点もあるのだが、それにしても酷すぎはしないか。
日テレで毎年やる「24時間テレビ」でも、募金される金額は日本人1人づつが「年に1度電話を短めにする」だけで出来るはずの「10円」を寄付するよりははるかに少ない(バブル期も含めた27年間でおよそ242億円、つまり1年あたり8億9600万円程度と、9億円にも満たない)。また、例えば発展途上国に物資を送るというとあるNGOでは「衣服を集めます」となったときに「いくら何でももう着られない」というような服の方が多数になってしまい、その仕分け作業に追われてしまっているとの話も聞く。つまり、NGOのそうした活動を「廃品回収」か何かと間違っているのではないかというのだ。いくら発展途上国の人間でも「人間としての尊厳」は存在する。その人たちに「ボロ雑巾のような服」を送ることは日本の人間に「尊厳を傷つけられた」と感じるに違いない。以前どこかの国へオーストラリアの政府が「犬のえさ」を貧困国の子供たちに寄付するということで問題になったことがあった(「犬のえさ」としても人間が食べられるし栄養価も高くていいと思ったそうだ)が、貧困国のほうではそれを突っぱねたそうだ(その国にとっては犬は一番の下等なものとした考え方もあるらしい)。それを発展国の人間は「人の善意を無駄にして」と怒った人間もいるそうだが、いやしかしそれはオーストラリア側が全面的に悪いだろう、と何故思えないのか。それは「○○してやっている」という驕りじゃないのか、と言いたい。
よく旦那が「俺は家族のために金を稼いで来てやっている」と言って偉ぶるのが「いやな旦那」の代名詞として用いられることがあるが、それと何が変わろうか。
また、日本では子供の頭をナデナデすることは「かわいがっている」として良かれと思われることだが海外・特に東南アジアの国々では宗教的に毛嫌う場所も多いのだが、おそらく日本の観光客の中でも知らずにやっている人間は今でも多いのではないだろうか。「良かれと思っても悪いことがある」ということの代名詞であるが、自分の物差しで日本人は物事を考えすぎじゃなかろうか、と。それが「利己主義」として顕現しているのではないか、と。
「個人主義」は大切です。個人は大切だし、個人は尊重されるべきものですから。
しかし、「利己主義」はいけません。
それは「ワガママ」です。
「ワガママ」というものを「個人主義」だと勘違いし、好き勝手やることは許されるものではないのではないでしょうか。それは電車の中でも街中でも、学校でも会社でもそうです。
この際ですから、
「個人主義」言うなれば「自己主義」または「他人尊重主義」
「利己主義」言うなれば「自由主義」または「ワガママ主義」
を分けて考えてみませんか?
「利己主義」である。
これは明治時代にすでに夏目漱石によって語られている。それがこの本、「私の個人主義」という講演集に書かれている。
私の座右の銘が詰まった一冊です。
=== また以下は長く難解な言い回し多用です。苦手な人はスルー下さい ===
NHKで「ワーキングプア」をテーマにした番組を見る。
その昔、日本では「物乞い」といういわば職業となっている人がいた。各家庭を回り、「おにぎりを頂戴」と回って食費を浮かす人。無論今で言う所の「ホームレス」なんだけれど、それでも今よりは暮らしやすかったに違いない。一方、小学校の前には「カラーひよこ」を売っている「いかにも」なおじさんがいた。または夏休みの映画(「東映マンガまつり」とか)チケットの割引券を配り歩く人やら、通信添削講座の勧誘などが出没したりして、翌日の朝礼なんかで「変な勧誘には気をつけましょう」という校長の言葉を聞くことになっていた。また、「押し売り」という職業もあった。「俺は昨日ムショから出てきたばかりなんだ。生活に困っているからゴムひもを買わねぇか?」とどすの聞いた声で話しながら、包丁と一緒に(ということになるんだけど実際には「これはよく斬れるんだよ」などと口上を延べ「脅して買わせる」ツールとして用いていた)売り歩いていた。まぁ、これも今では絶対に存在できないはずであるし迷惑な職業ではあるけれども、その時代には何と言うか、社会と底辺社会というものが今ほど乖離していないような社会だったと思う。少なくても、こうした職業というものは私が小学生まではあったと思うが、あの時代はそんな時代だった。
自分も「非正規雇用」の人間、派遣社員なので言えることではあるが、やっぱりこれはコイズミちゃんを初めとするカイカクのせいなんですよ。
もっと言うと、戦後日本長い期間をかけて培われてきた「利己主義」の賜物ではなかろうか、と。
「税金を払ってそれが底辺社会に行くのは許せない」
「底辺社会の人間は努力が足りないからだ」
これを利己主義といわず、何と言えるかということです。
底辺の人間でも相応の稼ぎに応じての税金は払っています。いやもっと払っているのではないでしょうか。生活費における税率に関して言えば。
どこぞの大学のオエライ先生はこんなことを言ってました。
「トライできる日本に出来ることが重要です。トライして失敗して負けたとき、その人に税金を投入するのはどうかと思いますが」
というようなことを。
とってもオエライ先生のようで、まぁそういう先生に日本を真剣に考えてもらって日本の将来はとてつもなく明るいものになりそうですが、それはともかく、某ゴーマニズムな先生にも似ていらっしゃいました。こういうことを考える先生と言うのは、みんな似てくるものなんですね、という発見も私にはビックリでした。
閑話休題。
つまり、こういう先生は、
「セーフティーネットは必要ない」
「失敗したのはその人の努力が足りないから失敗したのだから、自己責任だ」
「自己責任だから、失敗した貧乏人は耐えて苦しんで生きていけ」
ということを我々に教えてくれたんですね。
果たして、この先生の言うことが正しいのか??
いや、正しいわけないだろう。
努力をしても報われない、それは何かの原因はあるだろうしまた何かの時代性というものもあろう。
それなのに個人のせいにだけして、周りの人間はそれを「個人の自己責任」として見ないふりをする。先にも書いた「自分は兵隊として戦地には赴きたくないけど、どうせ自衛隊が行ってくれるんでしょ?だったら戦争してもいいんじゃない?」というのと同様、「個人」対「個人」の希薄なつながりによるものではないだろうか、と心から後ろ寒く思う。そして、そのノンノンと見ている側の人間は「自分はバカを見たくないから」とちょっとの喜捨も許さぬ「利己主義」の塊で相手を見ている。その冷酷な魂を感じるにつけ、これまた一抹の寒さを覚える。
ここで私は「喜捨」と書いたが、「喜捨」はおそらく日本ではなかなか浸透しないことではないだろうか。古来の日本では仏教に帰依するなどに於いてなされたことであるが、例えばヒルズ族で大成功を収めた人間が、例えばマイクロソフトのビル・ゲイツのように大きな「喜捨」つまり「寄付」をしているとは聞こえてこない。まぁ、これは一因として「寄付」をしても税金対策にならないという点もあるのだが、それにしても酷すぎはしないか。
日テレで毎年やる「24時間テレビ」でも、募金される金額は日本人1人づつが「年に1度電話を短めにする」だけで出来るはずの「10円」を寄付するよりははるかに少ない(バブル期も含めた27年間でおよそ242億円、つまり1年あたり8億9600万円程度と、9億円にも満たない)。また、例えば発展途上国に物資を送るというとあるNGOでは「衣服を集めます」となったときに「いくら何でももう着られない」というような服の方が多数になってしまい、その仕分け作業に追われてしまっているとの話も聞く。つまり、NGOのそうした活動を「廃品回収」か何かと間違っているのではないかというのだ。いくら発展途上国の人間でも「人間としての尊厳」は存在する。その人たちに「ボロ雑巾のような服」を送ることは日本の人間に「尊厳を傷つけられた」と感じるに違いない。以前どこかの国へオーストラリアの政府が「犬のえさ」を貧困国の子供たちに寄付するということで問題になったことがあった(「犬のえさ」としても人間が食べられるし栄養価も高くていいと思ったそうだ)が、貧困国のほうではそれを突っぱねたそうだ(その国にとっては犬は一番の下等なものとした考え方もあるらしい)。それを発展国の人間は「人の善意を無駄にして」と怒った人間もいるそうだが、いやしかしそれはオーストラリア側が全面的に悪いだろう、と何故思えないのか。それは「○○してやっている」という驕りじゃないのか、と言いたい。
よく旦那が「俺は家族のために金を稼いで来てやっている」と言って偉ぶるのが「いやな旦那」の代名詞として用いられることがあるが、それと何が変わろうか。
また、日本では子供の頭をナデナデすることは「かわいがっている」として良かれと思われることだが海外・特に東南アジアの国々では宗教的に毛嫌う場所も多いのだが、おそらく日本の観光客の中でも知らずにやっている人間は今でも多いのではないだろうか。「良かれと思っても悪いことがある」ということの代名詞であるが、自分の物差しで日本人は物事を考えすぎじゃなかろうか、と。それが「利己主義」として顕現しているのではないか、と。
「個人主義」は大切です。個人は大切だし、個人は尊重されるべきものですから。
しかし、「利己主義」はいけません。
それは「ワガママ」です。
「ワガママ」というものを「個人主義」だと勘違いし、好き勝手やることは許されるものではないのではないでしょうか。それは電車の中でも街中でも、学校でも会社でもそうです。
この際ですから、
「個人主義」言うなれば「自己主義」または「他人尊重主義」
「利己主義」言うなれば「自由主義」または「ワガママ主義」
を分けて考えてみませんか?
きけ わだつみのこえ―日本戦没学生の手記 (上)
2006年7月21日 読書
画像出ないか・・・。
今読んでいる本はこちら。麦を蒔いている岩波文庫版です。
読み始めたのは、そろそろ終戦記念日だから。
読んでいたらちょうどいい時を同じくして、昭和天皇が「A級戦犯合祀に不快感」という日経発の記事が出た所でした。しかも、これは「元宮内庁長官・富田朝彦氏」によるメモだったというところが大きい。まぁ詳しくも調べていないで右な人は「誰のメモか」などと言っているようです(元三○自動車の会長など戦犯の子息)が、宮内庁長官であるということは、やはり紛れもなく事実であったと思いますね。
そもそも、つい先だってはゴーマニズムなお方が自分の著書の中で「A級戦犯もいい事はしているし戦後に議員などを務めた人間もいる」というようなことを書いていたので、その鼻をへし折るような形でメモが出てきたのも興味深いです。
閑話休題。
私は再三再四言っているように、戦争に行くつもりも行きたくもない(まぁミリタリーなものは沢山あるけど)。
それは、自分の手を汚したくもなければ、それで自分が傷つくのも、カミサンが傷つくのもイヤだから。勿論敵に傷つけられるのもイヤだけれど、自分が手を下すのはもっとイヤ。「守るために相手を殺す」ってのは、何だか気味が悪いと思いませんか。相手だって「守るために相手を殺す」と思っているわけで、堂々巡りでしょ。
ともかく、自分を極限状態に持っていかれての殺戮なんてまっぴらだし、自分は兵隊という名のロボットでもない。
自衛隊がサマワから撤退しましたが、アレだってそう、結局傷つくのは政府でも上官でもない、一般の隊員だから。貢献したと喧伝しているけど、さっぱりその貢献でサマワの人々の暮らしが良くなったのか見えてこないし、聞かれもしない。やっていることはただの上に押し付けられたロボットのように見えた。
もっというと、某官房長官が「徴兵制」を敷くことは流石に今すぐにはしないと思うので、有事には自衛隊員が動員されるでしょう。ということは徴兵がない一般人にとっては「誰かがやってくれる」という他人任せの、そしてその他人にとっては家族一体となっての苦しみがまっているのにもかかわらず、一般の人々は「自分が行くわけではないから」と、北という国を仮想敵国として(官房長官が煽り)国民の目を憲法改正へと動かそうとしているとしか見えません。
一体、あの戦争は何だったのか。
大抵の学徒出陣で戦地に赴いた大学生は、自分の置かれた立場に大きな疑問を持っていることが分かります。家族も苦しむのも見えてきます。
大義を知らずも知っても苦しく、回りも苦しい。
何もかもが灰色に見える時代、「欲シガリマセン、勝ツ迄ハ」という我慢に我慢を強いられる時代。
あれにまた戻ろうとでも言うのだろうか。
今読んでいる本はこちら。麦を蒔いている岩波文庫版です。
読み始めたのは、そろそろ終戦記念日だから。
読んでいたらちょうどいい時を同じくして、昭和天皇が「A級戦犯合祀に不快感」という日経発の記事が出た所でした。しかも、これは「元宮内庁長官・富田朝彦氏」によるメモだったというところが大きい。まぁ詳しくも調べていないで右な人は「誰のメモか」などと言っているようです(元三○自動車の会長など戦犯の子息)が、宮内庁長官であるということは、やはり紛れもなく事実であったと思いますね。
そもそも、つい先だってはゴーマニズムなお方が自分の著書の中で「A級戦犯もいい事はしているし戦後に議員などを務めた人間もいる」というようなことを書いていたので、その鼻をへし折るような形でメモが出てきたのも興味深いです。
閑話休題。
私は再三再四言っているように、戦争に行くつもりも行きたくもない(まぁミリタリーなものは沢山あるけど)。
それは、自分の手を汚したくもなければ、それで自分が傷つくのも、カミサンが傷つくのもイヤだから。勿論敵に傷つけられるのもイヤだけれど、自分が手を下すのはもっとイヤ。「守るために相手を殺す」ってのは、何だか気味が悪いと思いませんか。相手だって「守るために相手を殺す」と思っているわけで、堂々巡りでしょ。
ともかく、自分を極限状態に持っていかれての殺戮なんてまっぴらだし、自分は兵隊という名のロボットでもない。
自衛隊がサマワから撤退しましたが、アレだってそう、結局傷つくのは政府でも上官でもない、一般の隊員だから。貢献したと喧伝しているけど、さっぱりその貢献でサマワの人々の暮らしが良くなったのか見えてこないし、聞かれもしない。やっていることはただの上に押し付けられたロボットのように見えた。
もっというと、某官房長官が「徴兵制」を敷くことは流石に今すぐにはしないと思うので、有事には自衛隊員が動員されるでしょう。ということは徴兵がない一般人にとっては「誰かがやってくれる」という他人任せの、そしてその他人にとっては家族一体となっての苦しみがまっているのにもかかわらず、一般の人々は「自分が行くわけではないから」と、北という国を仮想敵国として(官房長官が煽り)国民の目を憲法改正へと動かそうとしているとしか見えません。
一体、あの戦争は何だったのか。
大抵の学徒出陣で戦地に赴いた大学生は、自分の置かれた立場に大きな疑問を持っていることが分かります。家族も苦しむのも見えてきます。
大義を知らずも知っても苦しく、回りも苦しい。
何もかもが灰色に見える時代、「欲シガリマセン、勝ツ迄ハ」という我慢に我慢を強いられる時代。
あれにまた戻ろうとでも言うのだろうか。
ISBN:4101006040 文庫 太宰 治 新潮社 1951/08 ¥420
ちなみに今読んでいる本はこれです。
ついこの前までは伊藤整の「女性に關する12章」を読んでました。
更にちなみに、これを電車で読んでいる隣でイイ歳したおじさんが「ハリポタ」を読んでいました・・・。更に隣の若い女の人はネズミーランドのプラバッグ入りのキャラメルポップコーンを下げていました・・・。
日本の縮図ですね。
ちなみに今読んでいる本はこれです。
ついこの前までは伊藤整の「女性に關する12章」を読んでました。
更にちなみに、これを電車で読んでいる隣でイイ歳したおじさんが「ハリポタ」を読んでいました・・・。更に隣の若い女の人はネズミーランドのプラバッグ入りのキャラメルポップコーンを下げていました・・・。
日本の縮図ですね。
25歳女を逮捕 同居の男性殺人容疑 神奈川・大磯 [朝日新聞]
2006年5月13日 読書
05月13日付 朝日新聞の報道「25歳女を逮捕 同居の男性殺人容疑 神奈川・大磯」へのコメント:
「暴力を振るわれていたことが許せなかった」
は分かる。
けど、
「稼ぎ(収入)が少ないことが許せなかった」
ってどういうことだよ・・・。
男は金蔓かいな。
自分で働こうよ。そういうくらいなら。
まぁ、ホリエモンでもびっくり欽ちゃんこと村上ファンドも「不労所得」というのかな、何か簡単に儲けようとしている風潮というか・・・本当にダメだわ・・・。
「国家の品性」
じゃないけどさ・・・。
「暴力を振るわれていたことが許せなかった」
は分かる。
けど、
「稼ぎ(収入)が少ないことが許せなかった」
ってどういうことだよ・・・。
男は金蔓かいな。
自分で働こうよ。そういうくらいなら。
まぁ、ホリエモンでもびっくり欽ちゃんこと村上ファンドも「不労所得」というのかな、何か簡単に儲けようとしている風潮というか・・・本当にダメだわ・・・。
「国家の品性」
じゃないけどさ・・・。
合法ドラッグ(もとい脱法ドラッグ)とホリエモンの関連性
2006年1月24日 読書
CLAMPでもこの作品は読む気になれません。
キャッチなコピーをつけて読ませようという風潮が見えてしまって、ライブドアが色々とやってきた「ポータルサイトを見せるため」の様々な「方策」と同じように見えてしまうため。
BLっぽいって部分があるって聞くだけに、残念。
さて。
ご存知のように、ホリエモンたちは「法の網で掛からない程度のやり方」で錬金術を行ってきました。これはちょっと前まで「合法ドラッグ」と呼ばれていたものと似ています。
現在は「脱法ドラッグ」と名前を変更して報じられるそれは、基本的には現在では「刑法」に抵触する代物となっています。
そして。
新興宗教的に感じるという話も書きました。
これは乙部女史が言ってるように「ライブドアの社員は全て堀江氏をしたって入社した人ばかり」と言うような部分にも象徴されるけれども、やはり傷のなめあいというか、ヘジホックジレンマを感じてしまいます。
更に。
こうした人間を「時代の寵児」として取り扱ってきた人間を嗤います。結局、人間関係や経済はリアル。バーチャルではない。お子様たちがお金を手に入れてワーキャーと騒ぎ、それを躍らせることで儲かるからそれに乗っかる人間が出てきて、そうした状態を「まさに時代の象徴」としてしまった我々にも、相当の反省が必要だと思います。
いささか自分は前から覚めた目で見てきてはいますが、それにしても・・・やっぱり。
時代がうねっている観は否めませんね。
キャッチなコピーをつけて読ませようという風潮が見えてしまって、ライブドアが色々とやってきた「ポータルサイトを見せるため」の様々な「方策」と同じように見えてしまうため。
BLっぽいって部分があるって聞くだけに、残念。
さて。
ご存知のように、ホリエモンたちは「法の網で掛からない程度のやり方」で錬金術を行ってきました。これはちょっと前まで「合法ドラッグ」と呼ばれていたものと似ています。
現在は「脱法ドラッグ」と名前を変更して報じられるそれは、基本的には現在では「刑法」に抵触する代物となっています。
そして。
新興宗教的に感じるという話も書きました。
これは乙部女史が言ってるように「ライブドアの社員は全て堀江氏をしたって入社した人ばかり」と言うような部分にも象徴されるけれども、やはり傷のなめあいというか、ヘジホックジレンマを感じてしまいます。
更に。
こうした人間を「時代の寵児」として取り扱ってきた人間を嗤います。結局、人間関係や経済はリアル。バーチャルではない。お子様たちがお金を手に入れてワーキャーと騒ぎ、それを躍らせることで儲かるからそれに乗っかる人間が出てきて、そうした状態を「まさに時代の象徴」としてしまった我々にも、相当の反省が必要だと思います。
いささか自分は前から覚めた目で見てきてはいますが、それにしても・・・やっぱり。
時代がうねっている観は否めませんね。
紳士同盟クロス 1 (1)
2005年2月26日 読書
ISBN:4088565908 コミック 種村 有菜 集英社 2005/02/15 ¥410
久しぶりに少女漫画を購入。
って、30過ぎてこういうのを買うのも照れがあるんだけど。
でも、いつ見ても種村さんは絵が細かい。
ここまで書き込むのは、もう神業ですな・・・。
今回もアニメ化する可能性もあるし、今のうち人気を先取りしようと思って買ってきました。
(と思って買ってすぐの頃に「古本市場」にもう古本で売られているのを見て幻滅。万引きでもされたのかもしれないなとか思いつつ、まだ人気になりきれていないのか168円だったので悲しかった。<愛ベが210円、ミルモ268円とかなんだけど。)
久しぶりに少女漫画を購入。
って、30過ぎてこういうのを買うのも照れがあるんだけど。
でも、いつ見ても種村さんは絵が細かい。
ここまで書き込むのは、もう神業ですな・・・。
今回もアニメ化する可能性もあるし、今のうち人気を先取りしようと思って買ってきました。
(と思って買ってすぐの頃に「古本市場」にもう古本で売られているのを見て幻滅。万引きでもされたのかもしれないなとか思いつつ、まだ人気になりきれていないのか168円だったので悲しかった。<愛ベが210円、ミルモ268円とかなんだけど。)
日本残酷物語 (1)
2004年11月12日 読書
ISBN:4582760953 単行本(ソフトカバー) 楫西 光速 平凡社 1995/04 ¥1,427
元ネタはこれ。
しかし・・・。まだ高いな・・・これ。
それにしても、日本はホンマに悲しい国だわ。
いい人もいるけど、悪い人の方が絶対に多い。
特に、人情がなくなったってのは、悲しいね。
まぁ、近所の子供が騒いでて怒ったりしたら昔は喜ばれたり、「どうもすいません」と玄関前まで謝りに来させたりもしたものだけど、今はそういうのは全然だね。
そりゃ、スレたマセガキと、甘やかせることをおかしいと思わない政府に任せきりの(学校とかにな)親も増えるわけで、それを見ている周りの人間もいがみ合ってくるわさ。
悲しいけど、日本は小松左京じゃないけど「沈没」に向かうのかも。「没落」と言い換えてもいい。
良くない世の中に、自分は打ちひしがれて、ただ冬の寒さに打ち震え、自分の行く末を案じつつ、レンドルミンの眠りにつくのでした。
元ネタはこれ。
しかし・・・。まだ高いな・・・これ。
それにしても、日本はホンマに悲しい国だわ。
いい人もいるけど、悪い人の方が絶対に多い。
特に、人情がなくなったってのは、悲しいね。
まぁ、近所の子供が騒いでて怒ったりしたら昔は喜ばれたり、「どうもすいません」と玄関前まで謝りに来させたりもしたものだけど、今はそういうのは全然だね。
そりゃ、スレたマセガキと、甘やかせることをおかしいと思わない政府に任せきりの(学校とかにな)親も増えるわけで、それを見ている周りの人間もいがみ合ってくるわさ。
悲しいけど、日本は小松左京じゃないけど「沈没」に向かうのかも。「没落」と言い換えてもいい。
良くない世の中に、自分は打ちひしがれて、ただ冬の寒さに打ち震え、自分の行く末を案じつつ、レンドルミンの眠りにつくのでした。
日本語文章能力検定2級徹底解明
2004年10月20日 読書
ISBN:487116053X 単行本 日本漢字能力検定協会 オーク 2002/12 ¥1,260
第2回目の連載です。
今回は、「重複表現」について。
「馬から落馬して、頭が頭痛になった。」
などと、同じ表現を繰り返してしまう間違いのことです。
「かねてより気になっていたのですが、射程距離って言い方はおかしくありませんか?」
この中に、重複する表現が2か所あります。
前回の連載の時に、ヒントを出しているのでそれを見てしまうとすぐに分かってしまうのですが・・・。
「射程」の「程」って言う字なのですが、これは「道程」という言葉からも分かるように、「道のり」というくらいの意味ですから、「距離」の概念が存在します。
つまりは、「射程」のみでいいんです。
それ以上に付け加えることは、日本語として正しくない。
もう一つ。
「かねて」という言葉は、「予て」と漢字で書きますように、「前もって」という意味です。
「前もって」何かが存在し、今もそれが続いているということですから、「かねてから(より)」という表現が重複しているので誤りとなります。
これから、大学生は卒論を書く季節です。
卒論では、文章の間違いも当然見られますので、こういう部分を気をつけて書くと、更にいい論文になるのではないでしょうか、という老婆心ながらの小話でした。
次回予定「問題山積みな言葉たち」。
次次回予定「人を『慮る』ことは『免れ』ない」
です。
第2回目の連載です。
今回は、「重複表現」について。
「馬から落馬して、頭が頭痛になった。」
などと、同じ表現を繰り返してしまう間違いのことです。
「かねてより気になっていたのですが、射程距離って言い方はおかしくありませんか?」
この中に、重複する表現が2か所あります。
前回の連載の時に、ヒントを出しているのでそれを見てしまうとすぐに分かってしまうのですが・・・。
「射程」の「程」って言う字なのですが、これは「道程」という言葉からも分かるように、「道のり」というくらいの意味ですから、「距離」の概念が存在します。
つまりは、「射程」のみでいいんです。
それ以上に付け加えることは、日本語として正しくない。
もう一つ。
「かねて」という言葉は、「予て」と漢字で書きますように、「前もって」という意味です。
「前もって」何かが存在し、今もそれが続いているということですから、「かねてから(より)」という表現が重複しているので誤りとなります。
これから、大学生は卒論を書く季節です。
卒論では、文章の間違いも当然見られますので、こういう部分を気をつけて書くと、更にいい論文になるのではないでしょうか、という老婆心ながらの小話でした。
次回予定「問題山積みな言葉たち」。
次次回予定「人を『慮る』ことは『免れ』ない」
です。
日本語文章能力検定2級過去問題集〈平成16年度版〉
2004年10月12日 読書
ISBN:4871160599 単行本 日本漢字能力検定協会 オーク 2004/03 ¥1,260
はい。久しぶりの「日本語」の話題。
最近、非常に気になる言葉シリーズ第一弾。
「応じず」と「応ぜず」。
どちらが正しいでしょうか?
大元は「応ぜず」です。
「応じず」は、「応ずる」と言うザ行変格活用が上一段活用化した「応じる」の未然形です。よって、「応ずる」が基本ですから「応ぜず」と言う未然形のほうが正しい。
ということで、自分はなるべく「応ぜず」を使うように心がけていますが、テレビのニュースだの新聞だのでも結構前者を使っている場所も増えてきましたね。
まぁ、しかたないんでしょうけど。
とは言いなん。
あんまり日本語にうるさすぎるのも嫌われるので、普段からうるさくは見てませんけどね。
しかし、文章で書くときには気に掛けています。
これからも、何回かに分けて日本語の話題(気になる言葉)シリーズをUPしていきます。
次回予定「かねて『より』気になっていた射程『距離』」
次々回予定「問題『山積み』の言葉たち」
はい。久しぶりの「日本語」の話題。
最近、非常に気になる言葉シリーズ第一弾。
「応じず」と「応ぜず」。
どちらが正しいでしょうか?
大元は「応ぜず」です。
「応じず」は、「応ずる」と言うザ行変格活用が上一段活用化した「応じる」の未然形です。よって、「応ずる」が基本ですから「応ぜず」と言う未然形のほうが正しい。
ということで、自分はなるべく「応ぜず」を使うように心がけていますが、テレビのニュースだの新聞だのでも結構前者を使っている場所も増えてきましたね。
まぁ、しかたないんでしょうけど。
とは言いなん。
あんまり日本語にうるさすぎるのも嫌われるので、普段からうるさくは見てませんけどね。
しかし、文章で書くときには気に掛けています。
これからも、何回かに分けて日本語の話題(気になる言葉)シリーズをUPしていきます。
次回予定「かねて『より』気になっていた射程『距離』」
次々回予定「問題『山積み』の言葉たち」
侏儒の言葉・文芸的な、余りに文芸的な
2004年8月4日 読書
ISBN:4003600134 文庫 芥川 竜之介 岩波書店 2003/02 ¥525
今回は、関西からの帰りに読んだ本のご紹介。
これは実は違う本です。
実際に読んだのは、「角川文庫」のほうの「文藝的な、餘に文藝的な」(昭和24年刊行・60円)です。
タイトルからもお分かりのように、旧字体で全部書かれております。
まぁ、それでも気にせず(ほぼ分かるので)読み進めていくわけですが、これは「文芸評論」です。
現在でこそ、文芸評論が本当に少なくなってしまっていますが、その中ではこれは有名で数少ない良書です。
ちなみに「侏儒の言葉」の侏儒とは、
(1)こびと。一寸法師。
(2)見識のない人をののしっていう語。
ということです。
要するに、「チビ」と同じように、あんまり綺麗な言葉ではありません。「馬子にも衣装」の馬子も同じように綺麗な言葉ではありませんが、ようするに放送コードに引っかかるような言葉です。
まぁ、どちらも私みたいな人間を差して言う言葉なんですけどね。
ちなみに。
私は現在、「旧字体ブーム」を起こしたいと画策中です。
気→氣
学→學
亀→龜
聴→聽
塩→鹽
絶対旧字体のほうが味があると思っているんですよね。
今回は、関西からの帰りに読んだ本のご紹介。
これは実は違う本です。
実際に読んだのは、「角川文庫」のほうの「文藝的な、餘に文藝的な」(昭和24年刊行・60円)です。
タイトルからもお分かりのように、旧字体で全部書かれております。
まぁ、それでも気にせず(ほぼ分かるので)読み進めていくわけですが、これは「文芸評論」です。
現在でこそ、文芸評論が本当に少なくなってしまっていますが、その中ではこれは有名で数少ない良書です。
ちなみに「侏儒の言葉」の侏儒とは、
(1)こびと。一寸法師。
(2)見識のない人をののしっていう語。
ということです。
要するに、「チビ」と同じように、あんまり綺麗な言葉ではありません。「馬子にも衣装」の馬子も同じように綺麗な言葉ではありませんが、ようするに放送コードに引っかかるような言葉です。
まぁ、どちらも私みたいな人間を差して言う言葉なんですけどね。
ちなみに。
私は現在、「旧字体ブーム」を起こしたいと画策中です。
気→氣
学→學
亀→龜
聴→聽
塩→鹽
絶対旧字体のほうが味があると思っているんですよね。
ISBN:4405081654 単行本 前田 秀樹 新星出版社 2003/05 ¥1,365
さて。
我が前田監督の本。
前田監督も、流石に今の台所事情にはホトホト困っているだろうな・・・。
戦術とか技術とか言っていられないもんね。
それはそうと。
この表紙のユニホーム。水戸に似ているような。
さて。
我が前田監督の本。
前田監督も、流石に今の台所事情にはホトホト困っているだろうな・・・。
戦術とか技術とか言っていられないもんね。
それはそうと。
この表紙のユニホーム。水戸に似ているような。
ISBN:4309401589 文庫 稲垣 足穂 河出書房新社 1986/07 ¥525
はい、なんとも「意味深」なタイトルですが。
でも、稲垣足穂(たるほ)は、昔からよく読んでいますが。
こうした本って、「キチ○イになる」とか言われてたのよね。、昔は。
読んでもそうはなっていないけど(いや、案外なってるのか?)、私はやはり村上龍・春樹などが中心になっている現代作家群・および芥川賞・直木賞などのエセ文学賞(昔は違ったんだけど、最近はやはり狙っているというか、若干違うように思う=賞狙いの文学だの、迎合した文学には正直辟易)よりも、こうした日の目をあまり見ない作家がお気に入りです。
はい、なんとも「意味深」なタイトルですが。
でも、稲垣足穂(たるほ)は、昔からよく読んでいますが。
こうした本って、「キチ○イになる」とか言われてたのよね。、昔は。
読んでもそうはなっていないけど(いや、案外なってるのか?)、私はやはり村上龍・春樹などが中心になっている現代作家群・および芥川賞・直木賞などのエセ文学賞(昔は違ったんだけど、最近はやはり狙っているというか、若干違うように思う=賞狙いの文学だの、迎合した文学には正直辟易)よりも、こうした日の目をあまり見ない作家がお気に入りです。
カードキャプターさくら―バイリンガル版 (2)
2004年7月26日 読書
ISBN:4770026455 単行本 ショート・泰子 講談社インターナショナル 2000/08 ¥924
磯崎を心配することを書いておいてなんですが。
私はバイリンガル版のコミックを読みます。
「ちょびっツ」もそうだけど、バイリンガル版だと、また新しい味わいに会えます。
勿論、英語を全部理解しようとかそういうわけではないですが、勉強にはなりますね。
言い回しを後で外国人に使ってみたくなります。
磯崎を心配することを書いておいてなんですが。
私はバイリンガル版のコミックを読みます。
「ちょびっツ」もそうだけど、バイリンガル版だと、また新しい味わいに会えます。
勿論、英語を全部理解しようとかそういうわけではないですが、勉強にはなりますね。
言い回しを後で外国人に使ってみたくなります。
ISBN:4043400063 文庫 上野 正彦 角川書店 2003/08 ¥500
私は、上野教授の本がお気に入りで、よく読んでいます。
ちなみに同郷の方なので、更に愛着まで感じます。
「死体は知っている」シリーズは秀逸です。
さて。
何度も言うようになるけど、男性に経済的強者であれ、という重しがある以上、こうしたことは絶対に解決しないと思います。
しかも、これを書いているのが強者であるところの新聞社の人間なので、社説を読もうが何も読もうが、「事実」を客観的に知るだけで、全然解決の糸口すらも掴めない。
更には、それを読んでいる人間の多くは、やはり強者であるところが多いから、結局誰も「事実」を知るだけで、何も変化がおきてこない。
男性に重しをしているのは誰か。
女性?
いや、男性自身なんだと思いますけどね。
男性自身が、日本経済の真ん中で、「俺たちにこれ以上求めるな」と叫ぶしかない。
でも、そうもいかないんだろうけど。
女性も、何とかその助けになりたいと思ってくれる人は多いし、そうした経済活動の中に、自ら飛び込んでいく人も多い。
だけど、それに意識の低い人もいる。
だから、女性もある意味「重しを置くことに加担している」とは言えるのかもしれない。
ともかくね。
強者の論理だけが、日本中を席巻している。
それは2ちゃんねるなんかもそうなんだけど、強者の論理だけが唯一の絶対的な日本経済に於いてのキーワードとなっているわけだ。
それは、とても恐ろしいことなんだけど。
こうしたニュースを見るとね、やはり人生的な修羅場を(「介護」という部分で見てきて、結果的にこうした状態になった運命になった私は思うんですよ。
とても恐ろしい、って。
ちなみに、恐ろしいことはもっと続くもので。
高齢者の自殺も多いのね、この国は。
ちょっと前には、神戸の大震災で、仮設住宅のお年寄りが自殺しているケースが後を経たなかったわけだけど(ちなみに、今でもある。報道されていないだけ)、あれは「うつ」が原因で、それを「健康問題」として自殺の理由にしたりするのよね。
それ以外にだって、介護に苦しむ一般家庭では、その家の高齢者が自殺したとしても、「確か腰が悪かったから」とか言うだろうし、「健康問題」が1位になっていたとはいえ、全然それはあてにならないんだよね。多分、多くは「家族との不仲」が原因だろうな。
更には、年金を食い物にしている年金担保の貸し金業者もいる訳で、そういったもろもろのことを考えると、結局自殺の原因は『強者から弱者への軋轢』ということに尽きると思うわ。
私は、上野教授の本がお気に入りで、よく読んでいます。
ちなみに同郷の方なので、更に愛着まで感じます。
「死体は知っている」シリーズは秀逸です。
さて。
自殺、過去最悪3万4427人…経済理由12%増
昨年1年間の全国の自殺者は、3万4427人で一昨年より7・1%(2284人)増え、統計を取り始めた1978年以降で最悪だったことが22日、警察庁のまとめでわかった。
負債や生活苦など「経済・生活問題」が原因の自殺が初めて8000人を突破するとともに、40―50代の自殺者では動機のトップを占め、リストラや倒産など厳しい経済情勢に苦しむ中高年の実態を浮き彫りにしている。
人口10万人当たりの自殺者数(自殺率)で見ると、前年より1・8人増の27・0人。男女別では、男性が8・2%(1883人)増の2万4963人、女性が4・4%(401人)増の9464人だった。自殺率では男性が40・1人、女性は14・5人となった。
動機は、病苦などの「健康問題」が1万5416人と最も多く、「経済・生活問題」が8897人、「家族問題」が2928人、仕事の失敗など「勤務問題」が1878人の順だった。
中でも「経済・生活問題」の増加が著しく、前年を12・1%(957人)も上回り、過去最悪だった。さらに原因を具体的に分類すると、「倒産」や「事業不振」がほぼ横ばいだったのに対し、「負債」を理由とした自殺が5043人で、一昨年より21・7%増えた。「生活苦」は13・1%増の1321人、「就職失敗」は18・1%増の183人だった。
年齢別では、60歳以上が3・7%増の1万1529人、50歳代が1・8%増の8614人、40歳代が12・6%増の5419人。60歳以上と50歳代は過去最悪だった。
急増したのが、初めて4000人を超えた30歳代の自殺。一昨年を17・0%(668人)上回る4603人だった。専門家は「40〜50歳代がリストラで減り、30歳代にも仕事の負担が重くのしかかるようになり、過度のストレスを抱える人が増えたのではないか」と指摘している。
一方、小中学生の自殺者は93人で、前年より57・6%(34人)増。高校生も前年比29・3%増の225人だった。
都道府県別では、最も多かったのが東京(2967人)で、続いて大阪(2180人)、北海道(1745人)、神奈川(1640人)、愛知(1633人)の順。
逆に少なかったのは鳥取(172人)で、次いで徳島(204人)、香川(258人)の順だった。(読売新聞)
何度も言うようになるけど、男性に経済的強者であれ、という重しがある以上、こうしたことは絶対に解決しないと思います。
しかも、これを書いているのが強者であるところの新聞社の人間なので、社説を読もうが何も読もうが、「事実」を客観的に知るだけで、全然解決の糸口すらも掴めない。
更には、それを読んでいる人間の多くは、やはり強者であるところが多いから、結局誰も「事実」を知るだけで、何も変化がおきてこない。
男性に重しをしているのは誰か。
女性?
いや、男性自身なんだと思いますけどね。
男性自身が、日本経済の真ん中で、「俺たちにこれ以上求めるな」と叫ぶしかない。
でも、そうもいかないんだろうけど。
女性も、何とかその助けになりたいと思ってくれる人は多いし、そうした経済活動の中に、自ら飛び込んでいく人も多い。
だけど、それに意識の低い人もいる。
だから、女性もある意味「重しを置くことに加担している」とは言えるのかもしれない。
ともかくね。
強者の論理だけが、日本中を席巻している。
それは2ちゃんねるなんかもそうなんだけど、強者の論理だけが唯一の絶対的な日本経済に於いてのキーワードとなっているわけだ。
それは、とても恐ろしいことなんだけど。
こうしたニュースを見るとね、やはり人生的な修羅場を(「介護」という部分で見てきて、結果的にこうした状態になった運命になった私は思うんですよ。
とても恐ろしい、って。
ちなみに、恐ろしいことはもっと続くもので。
高齢者の自殺も多いのね、この国は。
ちょっと前には、神戸の大震災で、仮設住宅のお年寄りが自殺しているケースが後を経たなかったわけだけど(ちなみに、今でもある。報道されていないだけ)、あれは「うつ」が原因で、それを「健康問題」として自殺の理由にしたりするのよね。
それ以外にだって、介護に苦しむ一般家庭では、その家の高齢者が自殺したとしても、「確か腰が悪かったから」とか言うだろうし、「健康問題」が1位になっていたとはいえ、全然それはあてにならないんだよね。多分、多くは「家族との不仲」が原因だろうな。
更には、年金を食い物にしている年金担保の貸し金業者もいる訳で、そういったもろもろのことを考えると、結局自殺の原因は『強者から弱者への軋轢』ということに尽きると思うわ。
これが私の御主人様 2 (2)
2004年7月18日 読書
ISBN:4757511442 コミック 椿あす エニックス 2004/02/21 ¥410
面白いし、可愛いし。
結構お勧めなんですけど、アニメ化するようで、楽しみです。
ただ、TBSで決定しているんだけど、どこの枠でやるんだろう。
ハガレンは終わりそうもないし(来年夏の劇場版の頃までは少なくとも続くわな)。「忘却の旋律」の枠かな。それとも、BS-iかも。
BS-i大歓迎〜(*^_^*)。
少なくてもうちでは見られるし、その頃までにはうちの付き合っている人とも結婚して、一緒に見られるし。
(このマンガも元々は付き合ってる人の紹介で読み始めました。)
面白いし、可愛いし。
結構お勧めなんですけど、アニメ化するようで、楽しみです。
ただ、TBSで決定しているんだけど、どこの枠でやるんだろう。
ハガレンは終わりそうもないし(来年夏の劇場版の頃までは少なくとも続くわな)。「忘却の旋律」の枠かな。それとも、BS-iかも。
BS-i大歓迎〜(*^_^*)。
少なくてもうちでは見られるし、その頃までにはうちの付き合っている人とも結婚して、一緒に見られるし。
(このマンガも元々は付き合ってる人の紹介で読み始めました。)
2級 漢検分野別問題集
2004年6月16日 読書
ISBN:489096052X 単行本 日本漢字能力検定協会 日本漢字能力検定協会 2000/07 ¥945
はい、漢字の勉強をしましょうシリーズ。
ちなみに、私は2級は1回目の受験で問題の傾向を掴み、2回目でパスしました。
実は、準1級の勉強および、文章検定の勉強もしているわけなんですよ。
それだけに飽き足らず、旅行業取扱者だとか、ファイナンシャルプランナーだとか、証券業関係とか・・・。
とにかく、資格の虫、ってことは前に書きましたが、やはり好きなんですよ・・・。
ちなみに。
その昔、テレビ朝日の「ウッチャンナンチャンのこれが出来たら100万円」の『漢字連続100問出来たら100万円』に出たことがあります。
残り4人まで残った経験あり。
そんなこんなで、他の人より漢字には自信があるんだけど、それでもやはり準1級だの1級は難しいです。ちなみに、2級はコツを掴んだら簡単でした・・・(^^ゞ。
はい、漢字の勉強をしましょうシリーズ。
ちなみに、私は2級は1回目の受験で問題の傾向を掴み、2回目でパスしました。
実は、準1級の勉強および、文章検定の勉強もしているわけなんですよ。
それだけに飽き足らず、旅行業取扱者だとか、ファイナンシャルプランナーだとか、証券業関係とか・・・。
とにかく、資格の虫、ってことは前に書きましたが、やはり好きなんですよ・・・。
ちなみに。
その昔、テレビ朝日の「ウッチャンナンチャンのこれが出来たら100万円」の『漢字連続100問出来たら100万円』に出たことがあります。
残り4人まで残った経験あり。
そんなこんなで、他の人より漢字には自信があるんだけど、それでもやはり準1級だの1級は難しいです。ちなみに、2級はコツを掴んだら簡単でした・・・(^^ゞ。
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失楽園 上 岩波文庫 赤 206-2
2004年6月16日 読書
ISBN:4003220625 文庫 平井 正穂 岩波書店 1981/01 ¥798
伊太利亜の一大叙事詩。
格式高い文章で語られる堕天使の話。
中世ヨーロッパの騎士物語とかが好きな人にはお勧めします。
ただし、文言はとても難しいので、心してかかるように。
ちなみに、著者はミルトン。
ミルトンというと、赤ちゃんの哺乳瓶の殺菌剤を思い出す人も多いでしょうけど。
もしくは、カルピスに似た大阪近辺では有名な乳酸菌飲料を思い出す人もいますかね。
ちなみにちなみに。
渡辺淳一のドラマ化もしたあの作品とはとてもとても似つかわない作品ですので、そういう話が嫌いな人にも大丈夫かと思います。
伊太利亜の一大叙事詩。
格式高い文章で語られる堕天使の話。
中世ヨーロッパの騎士物語とかが好きな人にはお勧めします。
ただし、文言はとても難しいので、心してかかるように。
ちなみに、著者はミルトン。
ミルトンというと、赤ちゃんの哺乳瓶の殺菌剤を思い出す人も多いでしょうけど。
もしくは、カルピスに似た大阪近辺では有名な乳酸菌飲料を思い出す人もいますかね。
ちなみにちなみに。
渡辺淳一のドラマ化もしたあの作品とはとてもとても似つかわない作品ですので、そういう話が嫌いな人にも大丈夫かと思います。
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ISBN:4091720234 単行本 西 炯子 小学館 1990/11 ¥509
基本的に、彼女の作品は全部読みたい。
ということで、最近出ているものは読んでいないものも多いんですが、昔のものの方が、ストーリー性が高いと思うので、こっちを紹介します。
西は、女性の生きる様(そしてその幸せ)を描くことでは秀逸だと思う。
他にここまで女性が女性で生きることへ助言をするような作品をかける人はいないと思う。
まぁ、もっとも。
「ローズメリーホテル」シリーズあたりでは、そういう作品ではなくなっていますけどね。
ただ、それでも面白い作品を描くと思うし、その意味では読むことを薦めるのを吝かではないのですが。
と言うことで、マンガ本レビューシリーズに関しては、ひとまずここでおしまい。またいい作品を思いついたら挙げていきます。
次回からは、また文学作品をお勧めいたしますので、本の虫の方は乞うご期待。
基本的に、彼女の作品は全部読みたい。
ということで、最近出ているものは読んでいないものも多いんですが、昔のものの方が、ストーリー性が高いと思うので、こっちを紹介します。
西は、女性の生きる様(そしてその幸せ)を描くことでは秀逸だと思う。
他にここまで女性が女性で生きることへ助言をするような作品をかける人はいないと思う。
まぁ、もっとも。
「ローズメリーホテル」シリーズあたりでは、そういう作品ではなくなっていますけどね。
ただ、それでも面白い作品を描くと思うし、その意味では読むことを薦めるのを吝かではないのですが。
と言うことで、マンガ本レビューシリーズに関しては、ひとまずここでおしまい。またいい作品を思いついたら挙げていきます。
次回からは、また文学作品をお勧めいたしますので、本の虫の方は乞うご期待。
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