09月20日付 ニュース 科学・テクノロジーの報道「小学生の4割「太陽が地球を回ってる」 国立天文台調査 (asahi.com)」へのコメント:


まぁね・・・。
「勉強は大切ではない」と考えるようにさせた大きな原因は、古くは浅間山荘事件などの全共闘の頃から。

結局勉強してもそれほどタメにはならないと、学生たちは諦めてしまったから。

そう、タメにはならないのです。

でもね。
自分の将来がはっきりしている人には、絶対役に立つと思っているわけ。
自分は作家を目指すから、いろいろと知るべきことがたくさんあるし、その結果として勉強をしたことは生きていると思う。

その後。
自分が一番苦手に思う歌手・尾崎豊などが出てきて、学業を馬鹿にしたような斜に構えた姿が若者の共感を持つようになって、結果としてこの国の勉学が衰退したように思う。

悲しいかな。

日本の未来は暗い。
09月20日付 ニュース 科学・テクノロジーの報道「月の満ち欠け、分からない 危うい、小学生の天文知識 (kumanichi.com)」へのコメント:

本当に困るのよ・・・。
家庭教師をやってて「太陽が沈む方角は?」「東!」と答えられたことが何度あったか・・・。
おかげで。

8方角を覚えさせると言う別な仕事が増える。
その上で、地球が自転していると言うことを教える。
月は地球の周りを回っていると教える。
月は地球の自転と同じスピードで公転しているから、同じ面しか見えないと教える。
日食と月食の原理を教える。
天動説と地動説を教える。
・・・・・・etc・・・・・・。

余計な仕事が増えてくるんですよ、中学生を教えるのに。
親も聞かれても分からないから、子供は覚えないままで大きくなるし、結果として「無関心」な子供になってしまう。

勘弁してください。

もっと勉強させましょうよ。世界の流れですよ!
勉強が大事ではないって誰が言ったの?最低限のことも教えないのは先進国では日本くらいですよ。
まったく・・・・・・。

田舎育ち

2004年6月17日 学校・勉強
なので、農家の苦労も分かっている。
だから、さくらんぼ泥棒とかのニュースを見ると、
「農家の苦労を知らないで生きてきたんだな」
って思ってならない。

例えば、昔はご飯粒を残すことはダメ、という教育をした。

お米の一粒に、神様がいる。
・・・・・・だとか、
お米の一粒は、農家の人の汗の一粒。
・・・・・・だとか。

そういうことを言われて育ってきたし、苦労も知っているので、絶対的にお米を残すことは今でも出来ない。
床にこぼしたとかでもない限りは、絶対残さない。

これは、他の農産物でもほぼ同じ。
まず残さない。

今は、スーパーに行っては野菜がカットして売られていて、そのカット済みの野菜をそのまま食卓に出す。
子供は、カットされた野菜しか見ない。
更に言うと、お手伝いもしない子供多いし、料理の手伝いもしないから、野菜の何たるかも分からない。
ファストフードやコンビニでは、自分の好きな食品が(食べられる状態で)すぐに出てくる。

つまりは、全然野菜・お米といったものに対して、全然「食べさせていただいている」という感謝の心がない。
「頂きます」「ごちそうさま」
という言葉があるなしでなく、それ以前の問題だね。
お肉だって、何かの命をもらって、人間は生きていること。それを屠殺する人もいるし、それを育てる人もいる。いずれにしても、感謝の心で食べることが、ちょっとあってもいいのではないか。
まして、子供の頃だったら、特に必要だよ。
「頂きます」
の何の心もない言葉をかけてもらっても、食品が嬉しくないんだけど、ただ言葉を言わせているって状況は、本当にこれからが心配だね。

とにかく。
食品に感謝をすることは、農家の人たちに対しての感謝でもある。
そういう教育をしていかないと、こういう事件がなくなることはないね。

それと、なるべく田舎で育てる。
爺さん・婆さんがいる所で育てる。

今のままで将来なんか、私には明るい未来が見えないね。悲しいけど。

一方。
「ばんがいち」の今月号で、私の投稿を載せなかったか・・・。
色々と意見も書いたし、載せたくないのかもね。
それだとしても、前月号で私に対する批判を載せておいて、それに対する反論を載せてくれないのはひどいね。
もう投稿はやめますわ・・・やはり。
合作予定が2回ほどあるので、それは除いて、もう出さない方向で。
何だかさめちゃったもん。あれだけ長く投稿をしてきたわけだけど、あの批判投稿で。
(詳しくは5月17日・18日の日記をご覧ください。)
はぁ・・・。

※・・・ファーストフードという表記は間違い。新聞でもテレビでもファストフードと表記していますので、ここでもそれを踏襲しています。間違いではありませんので、念のため。
それにしても、子供の教育をどうするのかね・・・。
うちの近くの道路にはみ出た、その近くの家に遊びに来ている子供の自転車を見て、つくづく思う。

親が何も言わないとこういうことになるってことを、どうして理解できないのかね。
まぁ、その自転車をよっぽどおとといの川の方に捨ててきてやろうかとも思ったんだけど、それも大人気ないからやめたけど。

ともかく、別な大人が言うと、かえって怒られたりするからね。

「うちにはうちの教育があるんです!」
じゃ教育とやらを語ってもらおうじゃないの、とか思ってしまいますが、さすがにそれをするのも大人気ないのでやらないけど。

それと困るのが。
「ほら、他の人が怒るから、ちゃんとしましょうね」
だね。
「他の人が怒るから」じゃなくて、親御さんが怒りなさい。他の人云々の問題ではないよ。

大体、電車でどれだけの迷惑行為があるかって、語りつくせないくらいある訳だけど、そういうところでも好き勝手やらせるから、「どこでも我が家症候群」と自分は呼んでいるんだけど、どこでも自分の家のように振舞える。
「余所行き」の服、というのがあった時代では、そういうよその所に行ったら恥をかかないようにしなさいという教えを受けたものだけどね。

やはり、日本人に「恥」がなくなってると思う。

勉強について。
親がやらせたくないならいい。でも、「やらないならやらないでいい」と子供にまったく寛容的なのも許せない。
家庭教師をやってて、正直一番困るのは「小学校レベル」の勉強が出来ない子。それで中学の勉強を教えてください、やれ高校受験です、といわれても困るのよ。
「無理です」
と言いたくもなるんだけど、そこはお客さんなので、じっと我慢して一から教えていくんだけど、その大変さと言ったら。
困るのは、社会に出てからだよ。
いや、数学とか必要がないという意見もあるんだけど、自分が進みたい道によっては、必要になることもあるだろう。なので、自分は勉強は人並みにとりあえずはやって欲しいと思うんだけど、道路とか歩いていても、遊んでいる子供が多くて、勉強している暇があるのかなと勘繰ってしまう。
少なくても。
勉強はやったに越したことはないよ。
やらないでおいて(親もやっていないくせに)、「勉強なんて何の役にも立たない」とか言うのを聞くと、やはり虫唾が走るね。
かくいう自分。
音楽をもっとやっておきたかったもの。今になって作曲とか出来たら、どれだけこの心の叫びを曲に出来たか。売れるかどうかは別として。数学だって、もうちょっと出来ていたら、クリエイターの道に行ったよ。

無論。
社会勉強も必要でしょう。それと、人間関係の勉強も必要でしょう。でも、その根底にあるのは、基本の勉強ってことは忘れてはいけないね。
まぁ、がむしゃらに勉強して体壊すくらいなら、そこまでしなくてもいいんだけど。体力も必要だからね。

つまりは。
勉強を(あたかも「悪」のように)「しない」と決め付けるよりも、自分の道を見つけるために勉強するんであって、その道(夢)を見つけないままで勉強するのは苦痛だし、だからこそ夢は持っていた方がいいし、その夢に向かって勉強だの、体力だのを考えて大人になっていくべきよねってこと。
もし、夢が出来ないんだったら、しょうがないから人並みの勉強をするほうが、理に適っていると思う。
・・・と、大人になってもうちょっと勉強したいと思っている自分は思うのでした。

さて・・・。
それにしても・・・。
気象予報士の資格取りたいな、とか思っているんですが。
資格フェチの虫が出てきました・・・。
最初に断っておきますが、「ゆとり教育」全面否定するつもりもないです。

ただ
「犯罪の低年齢化」=「詰め込み教育の弊害」
というのは、間違っていませんか?
「詰め込み教育の弊害」=「ゆとり教育」
というのも、ちょっと違いますでしょう。
「ゆとり教育」=「心の教育」
という方程式も、成り立たないと思うんですよ。

しかし、これを全部「=」で結んだような教育制度には、さすがに辟易してしまうのです。
もともと、「ゆとり教育」というのは、若い人にはわからないかもしれませんが「積木崩し」という本(ドラマにもなった)が流行っていた頃、その当時の不良たちが「詰め込み教育」からあぶれてしまったことから出てきたわけですけど、だからこうした制度にしたのは、短絡的過ぎてはいないのかなと思いますね。
(ただ考えて欲しいのは、どっちかというと現在でもちょっと昔でも、真面目に勉強している人よりはちょっと不良でいる方が「かっこいい」ということでもてはやされた訳です。これでそっちに向かう人間もかなりいたわけで、そう考えると、真面目に生きる人間を馬鹿にした制度なんですよ。「ゆとり」ということで自分の才能を伸ばせるきっかけを失うわけですから。)

ただ、かく言う自分も、道徳の時間なんか、本当に暇で仕方なかった。そして、最近のそれを見てみると、「新興宗教かな」って思うほど「お寒い」作りになっているのです。だから、子供たちはそういう授業に積極的に取り組まないことが多いのではないんですかね。
基本的に、子供は自分のことしか考えません(色々意見はありますでしょうが、そう考えるほうが自然です)。
ということは、自分の問題にフィードバックさせないと、問題を問題として認識しないのではないでしょうかね。だからこそ、ディベートというか、相手と1対1で話すだとか、リアルな部分を教育させるべきだと思うんですけど。文字面(づら)だけではなく。
日本語の教育の拡充を言うのは、たとえば「読書感想文」なんかは特にそうなんだけども、その作品から自分が感じたことを、自分の人生に置き換えたりして「語る」もの。感想文というのは、文字面ではありますが、文字面ではないんですよ。
まぁ、自分も得意だったわけではないんですけどね。
また、ちょっと大人びた子供だと、そういう小手先の事実を知っているので、うまく書き上げて先生にゴマをする子供もいますけど。
ただ、感想文というのは、何を言うにも自由なわけでそれに賞を設けるの自体が間違っているんですけどね。

有名な作品をまず挙げると。
「走れメロス」で感想文を書くとします。
子供なりに、「約束は大事だと思いました」など書くでしょう。そこで、それを元にその事に相対して話すきっかけにもなる。たとえば「どういう時にそれは役に立つかな?」など。
でもこれは、学校だけではなく、家庭でもできる。
桃太郎だって何でもいい、楽しいだけではなくて、そこに何を感じたか。そういうのを話し合うだけでも、全然方向は違ってくると思う。
その上で、テレビの「虚構」を見せて、「これをどう思うか」と聞くと、更にいいと思う。
ともかく、ただ与えられた課題をやる「詰め込み教育」ではなくて、「考える教育」を求めているわけですよ。これは、先に書いた「ゆとりの教育」でも「心の教育」でもない。
国語で「この時○○の心情を考えなさい」などの設問が出てきて、それに対して「そんなの分からない」ということで終わりにさせるのではなく(実際、こうした設問に選択方式でもない限り答えない子供が多いです=家庭教師で見てきていますので分かるのですけど。間違ってもいいから考えて欲しいのです)、考えることが重要なのです。だから国語ではそういう設問が多いんですけど。
よって、そういう「考えさせる」ということをするために若干の勉強量が減ることを否定していない(=「ゆとり教育」の全否定ではない)のです。

親も「考えて」あげなくてはいけない。
すごく大変だと思うけれども、それは親としての義務、でしょう。仕事などにかまけるのもいいですが、やはり親は子供の鑑。「考える」姿勢を持つことが重要なのではないのですかね。

間違ってますかね?
まぁ、ここまでネットが普及し、もうこの考え方はステレオタイプな感じもしますし、なかなかこれを実行するのは難しいのも分かりますけど、子供を助けるのも壊すのも、大人なんだから、大人として子供たちを考えていかないと仕方ないでしょう。
そのための努力は、私はいといませんよ。

【更新6日17時】
ということで、やっとホーリーホックカード(NICOSカード)が到着しました。
本体も届いたことなので、ETCも付けてこようということで、イエローハットに出掛けたら、定価販売。
「高い!」
ということで、ちょっと遠出をして(ちょっと位ならハイブリッドカーだと安く済むので)セットアップなどしてもらいました。
何とかこれで前払い登録の申請も出したので、来週には使える様子。でも、山形戦のホームゲームには間に合いませんね。
しょうがないので、余っているハイウェイカードを使い。それでも余ったものをETCに追加する。
ってことでどうでしょう。
ちなみに。
イエローハットはあんまり行きたくなかったの。やはり鹿島のサポーティングカンパニーなので。かと言いつつ、そもそもカーショップにはこれが初めて行ったんですけどね。そもそも車に全然興味がなくて、乗れればいいという考えなので。それで燃費が良ければ最高です、ってことでハイブリッドカーだったのです。

しかし・・・自分。
新しい物好きというのは、いつまで経っても変わらないな。

しかもこれで帰りに、「ほっかほっか亭」でのり弁を買って帰るって時点で、ちょっと泣けてきませんかね???
特に
「佐世保 少女 画像」
など、加害者の画像を探していらっしゃる方。
ここにはそんなものは存在しませんし、将来的にも紹介したくもなければ、するつもりもありません。
当然、その画像があるリンクも張るつもりもありませんので、あしからず。

さて。
大体、先生もダメなのね・・・。最近の小学校の先生は、子供っぽい。大人ではない。
もっと言うと、私は「金八先生」のあたりからそういう先生が増えてきたと思うんだけど、変に子供に迎合していないか?
そんなこと必要ありません。

大体、小学校こそ、ベテランの先生がやるべきだろう。
大学を出たばかりの先生が、子供の教育なんてできるわけがない。だから、自分も小学校やら中学校で、先生のイイ思い出があるといったら、大体はベテランの先生なんだよ。
若い先生だったり、中年くらいの先生には、全くのいいイメージがない。
つまりは、大学くらいの先生こそ、若い人間でよろしい。
大学くらいになれば、先生が教えなくても、自分で勉強するでしょう。
それで勉強もしない大学生は、即刻退学。
その位の厳しい世界でいいのではないのかね?学校。

大体、「心の教育」だの「ゆとり教育」って何だね?
そんなことをやって甘やかしていない?それこそが「迎合」と言うんだよね。
間違っていることは間違っていると、厳しく怒らないといけない。もちろん、体罰とかではなく、面と向かって怒れるような先生であるためにも、ベテランがイイと言うことを言ってるわけだが。
ゆとりなんて、60歳を過ぎたリタイアした人が言うことではないのかね・・・。心の教育なんて、全然していなかった割には、昔の方が全然こんな事件が起こらなかったよ。つまりは、「心の教育」「ゆとり教育」なんて、全然意味がない。
所詮は、国会議員の若い親向けの「票稼ぎ」。

私が文部大臣・・・というか文部科学大臣だったら、絶対にまず「勉強をさせる(偏差値教育の再考)」に取り掛かりますね。そして、その次に「ベテラン先生の配置」。
全てはそこから。
「心の教育」はあくまでも月に1回程度でよろしい。
何度もやるから「(内容が)寒い」って思われる。それと、教育テレビの情緒教育番組よりも、イイ映画を見せます。最近だと何だろう・・・。音楽映画を支持する自分としては、「海の上のピアニスト」とか「シャイン」だね。そして、国語教育も充実です。英語教育なんて要りません。昔の童話だの(絵本ではなく、その当時のまんまの作品で)読ませます。ちょっと年長になったら「いちご同盟」(三田誠広=河出書房文庫など所収)を読ませるなど。
これでこういう事件はほぼ皆無だね。
あるとすれば、勉強からあぶれた人たちのみ。でも、心配召されるな。日本には立派な職業がありますよね。「自衛隊」ってのが。そういう人にはこういう所で仕事をしてもらいます。
・・・・・・万事解決ではないの?

まぁ、最後はちょっときつめに言っている部分もありますが。

ただ、少なくても、国語教育の拡充・勉強をさせる(心の教育は月1回)・ベテラン先生の配置・映画を見せるってのは、全然本気です。
情緒の教育ってのは、「自分で物事を判断し、考える」という、実存主義なコトなのです(なので、自分はその反対の構造主義がとてつもなく排除したく思っている=でもこれが現在の主流)。つまりは、考えるようにさせる。そのためには、国語教育が必要なんですよ、実は。映画も実存主義的映画を中心にラインナップ。ベテラン先生には、何かあった時にそのことを1対1できちんと話す(これも実存)。

まぁ、これを実現する力は自分にはないけれども、将来こういう風に向かっていければと思う。

【更新5日9時】
「今日から(マ)王」見たりする。かっこいいよね。男の子が全部。何となくボーイズの香りがプンプン・・・。イラストもちょっとこいでみえこさんっぽい。そうでもない???でも、NHKで男同士のキスシーンが見られるとは思ってもいなかったよ・・・。
結構NHKって最近狙ってるよね。
「CCさくら」の再放送。「うる星やつら」だの「ふしぎの海のナディア」だの。
そして18日にはハイビジョンで「サクラ大戦」の映画をやる様子。
うちにはハイビジョンを導入済みなので、もちろん見ますけど、それにしても、狙いすぎではないのかね。

狙っているのは、それだけではないね。

「ニュース10」。
これは「報道ステーション」が人気ないので見ているんですが・・・(ちなみにうちはゴーストがすごいので、衛星ハイビジョンか地上デジタルで見ています)。
この天気情報の天気図でのアニメーションがイケてますね。
高気圧くんがカワイイの。
ということで、NHKの新しいキャラクターで行って欲しいです。場合によってはキャラグッズ買いますよ〜。
ぜひごらんあれ。

注:※・・・○にマ。

【更新5日16時】
アウェイでの福岡戦。1-0で負け。
正直、FWがダメでは、勝てようがないね。去年と違ってDFも問題だし。
となると、去年の7位には及ばないで終わるな・・・今年は。
はぁ・・・泣。

【更新5日23日】
「うざい」という言葉について。
これは絶対に許せません。加害女児が使っていた訳だけど。
自分は使わないし、付き合ってる人も使わない。
この「うざい」というのは、相手の全否定なのです。性格・人格・存在を否定する言葉。そういう言葉を軽々と使うものではないです。「むかつく」という言葉もそうなんだけども、ダメだよ。そういう言葉を使わせちゃ。
前々から日本語などの重要性を言っているけど、こういうことなのよね。

それと。加害女児の父親の言葉。
「毎日手を合わせて拝むんだよ」
って・・・。優しすぎはしないか。
被害女児の父親も
「落ち着いたら話して欲しい」
・・・。優しすぎるんだよ。
これでは、子供はダメなんじゃないの?
少なくとも、どっちかが厳しい部分を見せないと。もちろん、メリハリが大事で、いつも厳しいのは問題外だけど。
父親の復権とかそういうこと以前の問題で。
それと、それを文科省に「こころの教育」に求めるよりも、やはり子供の過ごす時間は多くは家なわけで、やはり家での「しつけ」というか教育が大事。
やはり、基本は家だよ。家での両親(片親でも)の教育を基本に据えないとね。

最新のコメント

日記内を検索