ニュースから耳を塞ぎ、見ないふり・聞こえないふりが出来ない。
だから、結果として毎日のように疲れてしまう。

自分にとって、「嬉しいこと」「楽しいこと」「イイこと」って何だろう。
ポリアンナみたいに探し回ったら探し出せるものなんだろうか。
小さい「幸せ」も大きな「苦しさ」の前では無力です。

だから、自分はどんどんと厭世的になっていくんですが。

 

自分は今日、また自分が男であることに苦しみを感じました。
とあるサイトでとある事象を見せられて、そこにいる男があまりにも「恥」を知らないというか・・・自分と相手との距離とかを推し量れないというか・・・、子供っぽいように感じて、「これが日本の男性(大人)なんだな」と思うにつけ、だんだんと心は深く暗い湖の奥底へと沈んでいきました。

「恥」を知らない。

いや、「恥」と知ってて「恥」をやるならイイ。
でも、「恥」を知らないで「恥」をしているのは、本当に見苦しい。至る所にある。若い人も、オッサンもオバサンも、下手したら初老の方々にまでいる。
そういうのは・・・ダメだよ・・・。日本人の行儀とか礼儀とかに反しているように思うし。瀬戸内寂聴が嫌いな言葉として「狎れ(なれ)」を挙げています。つまり、「親しき仲にも礼儀あり」が日本人になくなりつつあることに危惧感を感じてらっしゃるようです。
それと同じように、初対面なのにタメ語とか、2度目くらいの会話なのに「馴れ馴れしい」というのは、やっぱり恥なのではなかろうかって思っています。
だから、自分はなるべく礼を欠かないようにはしています。勿論、100%ではないですけどね。難しいことだし。
でも、それを行うということが重要だとも言えます。まったくやらないよりは、やろうとする心遣いというか、その心持ちに表敬します。

裏を返すと、そのサイトではとある女性に対して寄って集って男性が言い寄っている場面だったのですが、正直「何でもいいのかね、穴があれば、キミ達は」と悲しく、そして後ろ暗い気持ちになりました。
そして、その一方、自分もそういった男性と同じように、自分も性別が男であること、そのことに非常に苦しみを感じたのです。

無論。
何度も書いてきてはいますが、女性でも苦しいこと・辛いこと・大変なことは沢山あるでしょう。そういう男性がいる以上、性的に嫌な思いをする人も多いことでしょう。だから、どっちが幸せなのかというようなことを語るつもりはありません。
でも、少なくても自分の今の状況においては、自分が男性であること・男性でなければいけないこと・男性として生きていなければ成り立たないこと・・・・・・といったことに心からの息苦しささえ感じたのです。

自分は・・・・・・何故男性じゃなければいけないのでしょうか。
何故、父親は自分という男性を欲しくて色々とワガママを尽したんでしょうか。
そして、社会や昔の自分の家庭と言ったものは、自分に何を求めたのでしょうか。

全く分かりません。
ただただ、「分からない」ということだけが「分かる」のみです。

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