「分からない」を放って置くという事
2006年9月21日よくネットの社会では「分からない」と初心者を楯に何もかも聞いてくる人間を「クレクレ君」などといって揶揄する対象である。
でも、まだ「訊こう」とする姿勢だけでも重要じゃないのかと思う。
今の子供は、家庭教師に行っていた時から思っていたことなのだが、「分からない」ということを放って置く子供が多いというのが、本当に気にかかる。
もっと小さい頃は、「どうして?」「何で?」と何に対しても疑問を持って親を困らせていただろうに、大きくなるにつれて「訊ねる」ということを忘れてしまうようだ。
無論、親の問題もあるんだろうと思う。小さい頃に聞かれても答えなかったり、いい加減な答えをする親も多いようなので。
家庭教師に行って、「分からない」ことをそのままにしている子供の多くは、親が結構いい加減な答えをしていることが多い。それじゃ、子供は「訊こう」とする性質を持たなくなるのは当然だろうと思う。
それは、私は子育て責任放棄だろうと思っている。
きちんと答え、分からないことは一緒に調べて親子で理解し分かってあげる。それ位の事は出来ないんだろうか。
「難しいし、分からなくてイイや」というのは子供の脳の発達を阻害させますよ。是非、もっと疑問に答え、もっと「調べる」という性質を作ってあげるのが、親の責務だと思います。それが勉強と直接関係なくてもいいんですよ。テレビの電波はどうして届くの?とかマンガ雑誌は誰が作っているの?とか。そういうことの「調べる」積み重ねが、全て人生の勉強になるんだってことです。そうすることで、それは普段の勉強にも役立つことが多いのだから。
もっと、「分からない」を放って置かず、もっと調べて自分のものにしましょう。
でも、まだ「訊こう」とする姿勢だけでも重要じゃないのかと思う。
今の子供は、家庭教師に行っていた時から思っていたことなのだが、「分からない」ということを放って置く子供が多いというのが、本当に気にかかる。
もっと小さい頃は、「どうして?」「何で?」と何に対しても疑問を持って親を困らせていただろうに、大きくなるにつれて「訊ねる」ということを忘れてしまうようだ。
無論、親の問題もあるんだろうと思う。小さい頃に聞かれても答えなかったり、いい加減な答えをする親も多いようなので。
家庭教師に行って、「分からない」ことをそのままにしている子供の多くは、親が結構いい加減な答えをしていることが多い。それじゃ、子供は「訊こう」とする性質を持たなくなるのは当然だろうと思う。
それは、私は子育て責任放棄だろうと思っている。
きちんと答え、分からないことは一緒に調べて親子で理解し分かってあげる。それ位の事は出来ないんだろうか。
「難しいし、分からなくてイイや」というのは子供の脳の発達を阻害させますよ。是非、もっと疑問に答え、もっと「調べる」という性質を作ってあげるのが、親の責務だと思います。それが勉強と直接関係なくてもいいんですよ。テレビの電波はどうして届くの?とかマンガ雑誌は誰が作っているの?とか。そういうことの「調べる」積み重ねが、全て人生の勉強になるんだってことです。そうすることで、それは普段の勉強にも役立つことが多いのだから。
もっと、「分からない」を放って置かず、もっと調べて自分のものにしましょう。
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