「『死の医学』への日記」より
2006年8月30日 映画「ブレイブストーリー」AquaTimezの「決意の朝に」と同じような内容があったので紹介。
本当にほぼ「似ている」と思った。盗作ということではなく、いかにアクアタイムズのこの曲が人間性の的を射ているかを、見て取れたような気がする。
という部分とリンクする。
確かに、人は他人の傷みには無頓着と言うか、見て見ないふりが出来る生き物だと思う。それは生物全部に言えることではあるが、親子など血縁関係にあるなどの特別な事情を抱えていないと、なかなか他人の痛みを推し量ることはしないだろう。
しかし、人は「考える葦」である(パスカル)と言ったように、人は動物の中でも唯一といえるほど「想像力」を持っている生物である。つまり、実際には推し量らないだけで、実は考えたり想像したりすれば、「他人の疝気を頭痛に病む」ことが出来うるのである。
だが、特にそのきらいは最近薄れてきてしまったように思える。阪神大震災などの大きな災害でも起これば別だが、基本的にはネット社会の中では、相手の顔が見られないから簡単に相手を傷つけることが可能だ。そして、そうして傷つき落ちた人間を周りの人間も含め最後まで貶めることもまた、真実として存在している。
それは、こんな今日明らかになった事件からも読み取れよう。
おぞましい(人の)部分が見て取れるわけだが、人というのはとんでもない悪魔にもなれば、神々しい天使にもなりうるということをまず知らねばなるまい。
その上で、自分がどちらにつくか。
他の人間はどうであれ、自分は「悪魔」にはつきたくない。この本、そしてアクアタイムズ、ブレイブストーリー(映画もてんとう虫コミックスも)、このニュースを見て、痛切にそう感じたのだった。
最後になるが、この事件で被害者の母親は、おそらく本当に「自分が迎えに行かなかったからだ」と相当に悩み、傷つき、そして悲しみ、かつ苦しんだことでしょう。その結果、電車への投身という悲劇を生んでしまった。ですが、それは母親のせいではありません。被疑者一人の問題です。ですから、本当であれば死ぬことはなかった。いわば、「不本意な死」であろうと思う。心から冥福を祈りたく思う。出来うることなら(自分は死後の世界は信ずる人間ではないが)、娘さんと一緒に向こうの世界で過ごしてくれていればいいが、と切に願うばかりである。
国立千葉病院神経科医長西川喜作医師(中略)は、骨転移による痛みに襲われたとき、かつて自分が健康だった頃には、患者の痛みを充分に理解していなかったことに気付き、自己批判を込めて、(中略)
「他人の痛みは何年でも耐えられるけど、自分の痛みとなると、一分一秒が耐え難い」
もう一人(中略)評論家の山本七平氏(中略)はすい臓ガンの進行で激痛に襲われたとき、医師が有効な対応をしてくれずに放置されたことを怒って、手記にこう書いた。
〈人間というものは、他人の「痛み」にいかに無頓着であるかを、改めて思い知らされた。〉
本当にほぼ「似ている」と思った。盗作ということではなく、いかにアクアタイムズのこの曲が人間性の的を射ているかを、見て取れたような気がする。
他人(ひと)の痛みには無関心 そのくせ自分のこととなると不安になって・・・(後略)
(著作権も絡むのでここまでに留める)
という部分とリンクする。
確かに、人は他人の傷みには無頓着と言うか、見て見ないふりが出来る生き物だと思う。それは生物全部に言えることではあるが、親子など血縁関係にあるなどの特別な事情を抱えていないと、なかなか他人の痛みを推し量ることはしないだろう。
しかし、人は「考える葦」である(パスカル)と言ったように、人は動物の中でも唯一といえるほど「想像力」を持っている生物である。つまり、実際には推し量らないだけで、実は考えたり想像したりすれば、「他人の疝気を頭痛に病む」ことが出来うるのである。
だが、特にそのきらいは最近薄れてきてしまったように思える。阪神大震災などの大きな災害でも起これば別だが、基本的にはネット社会の中では、相手の顔が見られないから簡単に相手を傷つけることが可能だ。そして、そうして傷つき落ちた人間を周りの人間も含め最後まで貶めることもまた、真実として存在している。
それは、こんな今日明らかになった事件からも読み取れよう。
横浜市瀬谷区で2000年に会社員渡辺美保さん(当時22歳)が殺害された事件で、美保さんの母、啓子さん(当時53歳)が今月1日、電車にはねられて死亡していたことが分かった。神奈川県警では自殺とみている。
殺人罪などに問われた穂積一被告(28)が1審判決の法廷で「お前ら(家族)が駅に迎えに行かなかったから娘は死んだんだよ」と家族に暴言を浴びせており、父の保さん(57)は「(被告は長女と妻の)2人を殺した」と憤っている。東京高裁は29日、無期懲役とした1審の横浜地裁判決を支持し、穂積被告の控訴を棄却する判決を言い渡した。
県警の調べによると、啓子さんは1日午後2時半ごろ、横浜市瀬谷区の相鉄線三ツ境駅近くの踏切で普通電車(8両編成)にはねられ、搬送先の病院で死亡した。遺書はなかったが、踏切に靴がそろえて置かれていたことなどから、県警は自殺とみている。
おぞましい(人の)部分が見て取れるわけだが、人というのはとんでもない悪魔にもなれば、神々しい天使にもなりうるということをまず知らねばなるまい。
その上で、自分がどちらにつくか。
他の人間はどうであれ、自分は「悪魔」にはつきたくない。この本、そしてアクアタイムズ、ブレイブストーリー(映画もてんとう虫コミックスも)、このニュースを見て、痛切にそう感じたのだった。
最後になるが、この事件で被害者の母親は、おそらく本当に「自分が迎えに行かなかったからだ」と相当に悩み、傷つき、そして悲しみ、かつ苦しんだことでしょう。その結果、電車への投身という悲劇を生んでしまった。ですが、それは母親のせいではありません。被疑者一人の問題です。ですから、本当であれば死ぬことはなかった。いわば、「不本意な死」であろうと思う。心から冥福を祈りたく思う。出来うることなら(自分は死後の世界は信ずる人間ではないが)、娘さんと一緒に向こうの世界で過ごしてくれていればいいが、と切に願うばかりである。
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