勘定奉行21Ver.III Jシステム 店頭版
2006年8月26日 自立支援法(旧32条)
CD-ROM オービックビジネスコンサルタント 2005/11/18 ¥84,000
今の情勢を露骨に象徴したCFといえる。
もっと言うと、「時代にはマッチしているけれどもグローバリズムの中での生産性・効率性のみを良しとしたつまらないCF」といえる。
だから、このCFを見ていると、心から胸糞悪くなる。
こんなCFだ。
思い出してもらうために大体のプロップをあげておく。
クライアント
「無理難題かとは存じますが・・・」
(と、企画書らしきものを受注側2人に差し出す)
受注側A
「早速社に帰りまして早急な承認を」
受注側B
「暫くお待ち下さい。(クリックして)承認が取れました!」
受注側Bとクライアントががっちり握手する向こうには、うなだれた受注側Aの姿。
こんな世界、いいか?
産業的効率性のみを良しとするなら、人間は機械そのものだ。機械の歯車だろう。
自分は歯車なんてまっぴらだね。
そもそも、勝者が敗者の前でへらへらと喜ぶってのは日本人にとって恥だった。相撲や剣道・柔道・弓道などがそのいい例。剣道ではガッツポーズをとったら反則だからね。
前にも「喜捨」に就いて書いたけど、日本の若い「勝ち組」人間のどれ位の人が、寄付なり何なりをしているのか。つまりは「勝ち組」の人間のそこそこの割合以上の人間は「勝っている」ことを敗れた人間の下に成り立っていることに気が付いていても、それに優越感を持つだけでそれ以外の感情を持ち得ないコンピューターそのものなんだろう。
そして、その国はアベ次期シュショーとやらが「チャレンジ連盟」だか何だかの議員連盟を作っているようですが、「チャレンジ」をしてもそれに失敗した時のセーフティネットが何もない。それ以上に失敗した人間にはとことん厳しい。
さらに言っておかねばならないのは、
「チャレンジ(challenge)」
に対応する日本語はないということだ。日本語訳的には「挑戦」とされるけれども、海外で好んで使われる「チャレンジ」とは決定的に意味合いが違う。
これは「『死の医学』への日記」ブックレビューとも関わってくることだけれども、日本では「挑戦」は「頑張る」とほぼ同義だ。でも、「challenge」は実はちょっと意味合いが違うように聞こえる(英語はあんまり詳しくないけど、ニュアンス的に感じる)のだ。「頑張る」に対する正確な英語もないように。「challenge」は「1%でも可能性があるのであれば、取り敢えず可能かもしれないからやってみよう」というようなニュアンスに見える。つまり、高校野球なんかで「頑張ってるなぁ」という言葉を使っているけれど、実は「積極的にチャレンジしているなぁ」というような形の言い方のほうが正しいのではないかと思うのだ。
ともかく。
ヤラシイCFである。世知辛いというか、「こんな時代に生きているんだなぁ」というだけで、気分が落ち込んでしまうCFです。
今の情勢を露骨に象徴したCFといえる。
もっと言うと、「時代にはマッチしているけれどもグローバリズムの中での生産性・効率性のみを良しとしたつまらないCF」といえる。
だから、このCFを見ていると、心から胸糞悪くなる。
こんなCFだ。
思い出してもらうために大体のプロップをあげておく。
クライアント
「無理難題かとは存じますが・・・」
(と、企画書らしきものを受注側2人に差し出す)
受注側A
「早速社に帰りまして早急な承認を」
受注側B
「暫くお待ち下さい。(クリックして)承認が取れました!」
受注側Bとクライアントががっちり握手する向こうには、うなだれた受注側Aの姿。
こんな世界、いいか?
産業的効率性のみを良しとするなら、人間は機械そのものだ。機械の歯車だろう。
自分は歯車なんてまっぴらだね。
そもそも、勝者が敗者の前でへらへらと喜ぶってのは日本人にとって恥だった。相撲や剣道・柔道・弓道などがそのいい例。剣道ではガッツポーズをとったら反則だからね。
前にも「喜捨」に就いて書いたけど、日本の若い「勝ち組」人間のどれ位の人が、寄付なり何なりをしているのか。つまりは「勝ち組」の人間のそこそこの割合以上の人間は「勝っている」ことを敗れた人間の下に成り立っていることに気が付いていても、それに優越感を持つだけでそれ以外の感情を持ち得ないコンピューターそのものなんだろう。
そして、その国はアベ次期シュショーとやらが「チャレンジ連盟」だか何だかの議員連盟を作っているようですが、「チャレンジ」をしてもそれに失敗した時のセーフティネットが何もない。それ以上に失敗した人間にはとことん厳しい。
さらに言っておかねばならないのは、
「チャレンジ(challenge)」
に対応する日本語はないということだ。日本語訳的には「挑戦」とされるけれども、海外で好んで使われる「チャレンジ」とは決定的に意味合いが違う。
これは「『死の医学』への日記」ブックレビューとも関わってくることだけれども、日本では「挑戦」は「頑張る」とほぼ同義だ。でも、「challenge」は実はちょっと意味合いが違うように聞こえる(英語はあんまり詳しくないけど、ニュアンス的に感じる)のだ。「頑張る」に対する正確な英語もないように。「challenge」は「1%でも可能性があるのであれば、取り敢えず可能かもしれないからやってみよう」というようなニュアンスに見える。つまり、高校野球なんかで「頑張ってるなぁ」という言葉を使っているけれど、実は「積極的にチャレンジしているなぁ」というような形の言い方のほうが正しいのではないかと思うのだ。
ともかく。
ヤラシイCFである。世知辛いというか、「こんな時代に生きているんだなぁ」というだけで、気分が落ち込んでしまうCFです。
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