今回は、「腐男子」と「コスプレーヤー」、「腐女子」と「コスプレーヤー」の関係に就いて考えてみたいと思います。

私は先頃、「ブレイブストーリーのワタルはミツルを思う腐男子だ」と言うことを書きました。

そして、それは「あまりに自分とかけ離れて美しい・かっこいいミツル」に対するワタルの「憧れ」とも密接に関係していますと言うのも書きました。

それと関連します。

私は、ミツルが大好きです。もっと言うと、「憧れ」であり、「自分には到底なれない」「自分には到底近づけない」神のような存在です。
だから、彼のコスプレをやることがほぼ決定しているのですが、「恥ずかしくて」仕方ないんです。だって、「自分が絶対近づけない」その人の格好をした所で、全然足元にも及ばず、却って笑いの対象とまでは行かないまでも、「痛い」コスプレーヤーとなってしまうことは請合いなんです。周りはそう思わなくても、自分が「ミツル」になることが、どうしても耐えられないくらいに彼を汚すことになってしまって自分自身に嫌悪感さえ抱くのではないかと感じるのです。
だから、とんでもなく彼を演じるのは恥ずかしい。無理と思う。

でも、カミサンと合わせと言う意味もあり、やらないわけにはいかないんだけど・・・。


一方の腐女子さんたちは、何故にあそこまで堂々と出来るのか、と言う部分。
おそらく、コスプレは「一つになる」つまり性的にも結ばれる感じがするための儀式であると言うことを昔から考えていて、それに就いては私は大学の卒論でも述べていることではあるのですが、そういった部分があるから喜んでやれるのではないか、と言うのがまず一点。
そして、我々男とは違って、「本当に理想としてそうなりたい、そうありたい」というような願望を持たずに済む、いうなれば私のように「自分のような人間がやっても絶対になれっこない」と言う感じで諦めると言うことをしないで済む。また「元々性的にも別な性ということから、「一つになる」ことに不具合を感ぜずにいる。我々男性だと、そうはいかない。

ということもあり、ミツルコスは恥ずかしいです。
ちなみに今3時なんですが、書く途中で眠くなって訳が分からなくなったので、上の文章は直すかもしれません。

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