ワタルはね、腐男子なんだと思うんですよ。
自分から見て、彼が腐男子としか思えない。

ワタルは原作の方がもっと凄いわけですが、
「(ミツルに初めて会ったとき)なんてキレイなんだろうって思った」
という点。
これね、多分ワタルとしては「憧れ」だったんだと思うんですね。でも、ワタルとミツルではかなりの乖離があって、ワタルは最初一方的に思い続けるだけだった。いくら努力してもミツルのような「きれい」にはなれないし、おそらくその足元にも及ばないんじゃないか、と思ったんだろうと思うわけです。
そして、普通の男子だったら、その「真似」をすることで、それに及第点を与えて満足をするのですが、ワタルにはそれすらも出来なく感じたんでしょう。あまりの二人の違いに。
そこで、その隔たりは「憧れ」というよりももっと強い「愛情」に近い所まで行ってしまう(ましてや冒険中は、様々な部分で離れてしまう状況であった)。この部分に於いて、自分に非常に近い部分を感じるんです。

自分がエドだの蔵馬だの、ミツルもそうだけどアスランだの・・・というキャラたちは、自分にとって「キレイ」で「憧れ」以上のもの。もっと言うと、「それになりたい」というくらいの強い願望があり、でも「それになる」ことは叶わないので、「それと一つになりたい」と思うようになり・・・(ここら辺は男女の恋愛と一緒ですね)。でも、それすらも出来ないと、コスプレや同人誌という中でのドリ小を始めとする「妄想」でしか「一緒になれない」となって、所謂「腐り」だす。

最後にワタルはミツルに向かって駆け出して飛びついていると思うのですが、おそらくこうして一時はミツルはいなくなるのに目の前に現れたら、まぁ腐男子としては飛びつきたくもなるわけですが、それはさておき、それ位に「憧れて」いた存在であるミツルとは、ワタルにとってやはり「愛情」に近かったのではないか、そしてそれは「抱きつく」という「一つになる」ことにも象徴されるように、「恋愛」に近かったのではないか。でも、ワタルは分かっているんだと思います、「自分には彼のようにはなれない」と。そして「彼のようになれない」自分を受け止めているんだと思います。その中で彼はミツルという存在に「安定性」というか、「安心感」を持つんでしょうね、ミツルはワタルにとっての『絶対』だから。
自分にとってもエドたちは『絶対』な存在です。何者にも代えられない「きれい」若しくは「かっこいい」存在。
映画の中では、ワタルとミツルは同じ次元の中で生きているわけですから、最後は「抱き付き合えた」。我々腐男子は三次元と二次元という次元の異なっているので「抱き付き合えない」という違いこそあれ、ワタルが腐男子なんではないかと思うのはそんな所によります。

腐男子にとってはね、好きなキャラクターは「好き」でもあるけど「憧れ」でもあるんですよ。凄くかっこよくて、凄くきれいで、そうなりたいという「絶対的な憧れ」で、それが(繰り返すことになるけど)「一つになりたい」という感情になり、それが「愛情」に近いものとして存在している。自分では「絶対」になれない、まさしく手に入らない存在だからこそ、どうしても強い慟哭にも似た気持ちが迸って行く。いくら頑張っても、自分が蔵馬くんにはなれないし、それに近くなることさえ出来ない。それくらいの遠い存在。男女の恋愛は「深くて対岸が遠い川」と言われますが、それ以上のものです。だから、多分不器用ではあるけれど、「腐男子」としてそのキャラクターをただ強く想うことしかできないのではないでしょうか。
ということもあり、自分はワタルが羨ましくてしょうがないわけですけどね。腐男子としての最高の夢ですからね、あれは。だから、やはり自分は思います、ワタルはミツルが好きな「腐男子」だって。同じ境遇として、あの後本当に幸せに一緒になってくれたら、と思います。

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