子供、か・・・
アマゾンに、とある漫画にこんなコメント(レビュー)が。

糞漫画, 2006/xx/xx
レビュアー: xx -
表紙と違って、なんか絵が餓鬼っぽい。
カバーを見るとてんとう虫コミックと書かれている。
なるほど、お子様向きの本だったか。
これは大人が買って読むに値しない本だ。


(一部伏字)

何と言うか・・・。
自分の好きなものにはとんでもなく賞賛するけど、それ以外のものは絶対に受け付けたくないという、そんなワガママというか、狭小な世界観というか、もう悲しいとかを通り越して、「こういう寂しい人もいるんだなぁ」と、自分自身が鬱に入ってしまいました。

昨日、この誹謗されている作品を買いました。
悪くないです。寧ろイイです。
もうばれていることかとは思いますが、この画像に出ている作品です。
小説とも違い、映画とも違います。その2つを併せて割ったような感じ(しかし小説側)でしょうか。ミツルファンにはちょっと悲しいかもしれません。
でも、悪くないです。
若干、映画より現実的であるので、その分「救い」がない部分をどう各人が考えるかというのは必要になってきますが。

このレビューを書いた彼は、一体何を言いたいのだろうか?
わざわざ作品を汚すために、アマゾンにやってきたのか?
そこは良く分からない。
唯、一つ言えることは、この人はおそらくいい意味でも悪い意味でも「オトナ」なんでしょう。もっと言うと、「子供」というものを一段下に見ている「オトナ」たちのうちの一人。「女子供の(食べ物)だ」みたいな表現は現在放送禁止用語であるが、おそらくはこういう考え方をしている人なのかと容易に想像がつく。
そんなことはいい。
そうした「オトナ」という人間たちが、仮面を被って仕事に出たり、あるいは引きこもっていたりする。
そして、今日も仮面の下では憎悪若しくは退廃というものを歌い続けている。げに恐ろしきかな、今という時代においての「若い」「アダルトチルドレン」の本性が垣間見えるような気がした。

そして、何より恐ろしいのは、「オトナ」であるはずなのに、
>表紙と違って、なんか絵が餓鬼っぽい
と、中身を読んでの感想ではない感想を述べて終わってしまって、それで完了してしまっていることにある。私は以前に「いちご同盟」という児童文学が面白いから読んでください、とレビューしたことがある。実際には「作品」というモノには簡単に見えて実は奥深いテーマが隠されていたりするものである。それは一見子供向けに見えるはずの童話でも然り、ポケモン映画だって然り、テレビアニメの「ふたご姫」だって然りだ。
先に私は「作品は基本的にあらゆるもの凡ては敬意を払うべきである」ということを書いた。
例えば、ポケモン映画が子供っぽいという形で片付けるのは簡単だし、それ位の感想しか持たない人が多いことは事実だし、またそれに対しての「(大人なのに泣きそうになっている自分というものの恥ずかしさを含めた)意外な感想」を持つことへの自分への歯がゆさという「しがらみ」というものもあるのかも知れないが、そこは子供に戻らなくてもいいじゃないか(いや、大人である自分だからこそ)、今現在の自分でその映画なり作品に触れた時の感想を持つべきではないのか。ただの娯楽で終わってしまってそれを「子供っぽい」と片付けるのは早計過ぎる、いやコドモより劣っているとも言えなくもないだろう(子供のほうが感受性は豊かだし、自分自身そこから感じたことは多かった)。
更に言えば、自分の好きなものに関しては褒め称え、そうではないものは否定する。・・・これ以上のコドモはないのではないだろうか。まずは他人・他者を尊重するような世の中ではなくなってしまっています。そのことへの危惧をこの作品で描いている部分でもあるだけに、こういう書き方をされる方がいるのが残念でなりません。

 

追記(8月19日午前1時半)
今現在、この文章はアマゾンから消されました。私が以前にアマゾンに報告したので、そうした声が消去に至ったのかもしれません。
ともかく、ネットではこうした意味のない(本質のない)悪意あるレビューを書いているのにもかかわらず、リアルでは「すまして」いるというのは、許されないんですね。お天道様は伊達に天から照っているわけではありませんね。

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