今日の検索ちゃんII=「ミツル 刺す ワタル」
2006年7月24日 映画「ブレイブストーリー」
という検索でいらした方、「何」を「刺す」んですか〜?
うちでは「挿す」とか使ってますが。
それはともかく・・・。
ブレイブストーリーは、1日にもう一度見てこようかな。
それとも、DVDを待つか。
個人的にはお話が好きなので見たいのですが、カミサンはミツル萌えが来ているらしく、ミツルネタを振ってきます。でも、自分は流石に小学生はストライク範囲ではなく、寧ろアウトなので、あんまり話に乗ってあげられていません。
嫌いじゃないし、もうちょっと大きくなって、もっとこう・・・繊細さを残しつつも逞しい一面とかが見えるようになったら、おそらく自分のど真ん中ストライクなんですが。ワタルも将来は好きになりそうな顔つきなんですけど。まだちょっと早いかな。
お話はね、やはりいいです。
前にも何度も書いているけど、自分は親子を中心にした家族ネタに弱いです。自分自身、もう親は両方ともいないし、兄弟姉妹はいても断絶状態だし、親類関係も全然ダメ。繋がりがあるとしたらカミサンの親類関係くらいかな。
そんなことはいいか。
よく原作派は「違い」を嫌がっています。ちょこっと原作もかじり始めているのですが、例えば・・・。
1:母親の自殺未遂か過労で倒れたかの違いに、それほどの大きな違いと言えるほどのものがあるか
2:強姦を示すような表現を敢えて書く必要があるのか
3:子供を中心とした訴求対象とした場合、「掴み」の部分は15分以内が鉄則だから最初の導入を長くするのは良くない
という点に就いて考えていってみたい。
1は、これ以外の違いの部分でもそうだけど、敢えて書かなくてもそれほど本筋には変わりがないのではないだろうか。作者の「言いたいこと」とは違っていたとしても、これは映画版として別な作品であることを鑑みれば、監督の「言いたいこと」を示すために、表現を変えたというのは必要なことだったのではないか。
2は子供を訴求対象にした場合、「リアリズム」過ぎる。そういうのが「リアル」であり、「それを受け容れろ」というのであれば、それは酷過ぎると思う。現在のような子供をめぐる事件が多発している中で、それさえも「リアル」として受け容れろというような話にもなってくる。それを敢えて映画でメッセージとして提示する必要があるのかとなると、おそらくその必要はないだろう。
3は、昔から子供を対象にした映画であれば必須。子供たちはテレビに慣れ、アニメーションやらドラマを見ているから、CFの時間に入る15分程度が「掴み」の限界といわれている(だから子供はNHKを退屈だと感じる)。だから、最初の導入部で急いだのもそのためではないか。最近のジブリではやらない手法ではあるが、例えば「トトロ」などは最初の導入部で「掴み」をすることで、今でも子供に人気がある。無論「魔女の宅急便」でも「ナウシカ」でも子供のファンは多いと思うが、群を抜いて強いのは「トトロ」であることは、この点に因ることもあるだろうし、そう考えてみれば、あの急ぎ気味の導入部にはガッテンが行くのではないだろうか。
宮部自身はアニメ誌でこの映画を褒め称えたというが、その真意が分からない以上何とも言えない部分があるけれども、この映画化で果たして自身の書きたいことが表れたのかどうか、その上で褒め称えたのか、その点だけが気になるところで、ファンであればそこを議論してしかるべきかと思う。
ともかく。
話は作品としてイイと思いますよ。
ちょっと付け加えるならば、映画版と原作版は違うものとして存在すると分かりさえすれば、却って「違うのはおかしい!」と大きく叫んで喧伝することは、大元も作者でも同じようなことを言いたかったはずの「他人のことは関係ない。自分さえ良ければイイ」ということを、そういうことを言っている人間こそが言ってしまっているということを忘れずに。
うちでは「挿す」とか使ってますが。
それはともかく・・・。
ブレイブストーリーは、1日にもう一度見てこようかな。
それとも、DVDを待つか。
個人的にはお話が好きなので見たいのですが、カミサンはミツル萌えが来ているらしく、ミツルネタを振ってきます。でも、自分は流石に小学生はストライク範囲ではなく、寧ろアウトなので、あんまり話に乗ってあげられていません。
嫌いじゃないし、もうちょっと大きくなって、もっとこう・・・繊細さを残しつつも逞しい一面とかが見えるようになったら、おそらく自分のど真ん中ストライクなんですが。ワタルも将来は好きになりそうな顔つきなんですけど。まだちょっと早いかな。
お話はね、やはりいいです。
前にも何度も書いているけど、自分は親子を中心にした家族ネタに弱いです。自分自身、もう親は両方ともいないし、兄弟姉妹はいても断絶状態だし、親類関係も全然ダメ。繋がりがあるとしたらカミサンの親類関係くらいかな。
そんなことはいいか。
よく原作派は「違い」を嫌がっています。ちょこっと原作もかじり始めているのですが、例えば・・・。
1:母親の自殺未遂か過労で倒れたかの違いに、それほどの大きな違いと言えるほどのものがあるか
2:強姦を示すような表現を敢えて書く必要があるのか
3:子供を中心とした訴求対象とした場合、「掴み」の部分は15分以内が鉄則だから最初の導入を長くするのは良くない
という点に就いて考えていってみたい。
1は、これ以外の違いの部分でもそうだけど、敢えて書かなくてもそれほど本筋には変わりがないのではないだろうか。作者の「言いたいこと」とは違っていたとしても、これは映画版として別な作品であることを鑑みれば、監督の「言いたいこと」を示すために、表現を変えたというのは必要なことだったのではないか。
2は子供を訴求対象にした場合、「リアリズム」過ぎる。そういうのが「リアル」であり、「それを受け容れろ」というのであれば、それは酷過ぎると思う。現在のような子供をめぐる事件が多発している中で、それさえも「リアル」として受け容れろというような話にもなってくる。それを敢えて映画でメッセージとして提示する必要があるのかとなると、おそらくその必要はないだろう。
3は、昔から子供を対象にした映画であれば必須。子供たちはテレビに慣れ、アニメーションやらドラマを見ているから、CFの時間に入る15分程度が「掴み」の限界といわれている(だから子供はNHKを退屈だと感じる)。だから、最初の導入部で急いだのもそのためではないか。最近のジブリではやらない手法ではあるが、例えば「トトロ」などは最初の導入部で「掴み」をすることで、今でも子供に人気がある。無論「魔女の宅急便」でも「ナウシカ」でも子供のファンは多いと思うが、群を抜いて強いのは「トトロ」であることは、この点に因ることもあるだろうし、そう考えてみれば、あの急ぎ気味の導入部にはガッテンが行くのではないだろうか。
宮部自身はアニメ誌でこの映画を褒め称えたというが、その真意が分からない以上何とも言えない部分があるけれども、この映画化で果たして自身の書きたいことが表れたのかどうか、その上で褒め称えたのか、その点だけが気になるところで、ファンであればそこを議論してしかるべきかと思う。
ともかく。
話は作品としてイイと思いますよ。
ちょっと付け加えるならば、映画版と原作版は違うものとして存在すると分かりさえすれば、却って「違うのはおかしい!」と大きく叫んで喧伝することは、大元も作者でも同じようなことを言いたかったはずの「他人のことは関係ない。自分さえ良ければイイ」ということを、そういうことを言っている人間こそが言ってしまっているということを忘れずに。
コメント