「ワタル オンリーイベント ブレイブ」
という検索が・・・。
あるんですか?あるなら自分が行きますよ。
あ〜カミサンがワタルで、自分がミツルで・・・のコスプレして行かせて頂きますよ。
あ、ちょっとウソ。自分はミツルやったら、せいぜい「やくみつる」がいい所です(爆笑の渦)。

結構最近になって主題歌売れてきた模様。
アクアタイムズ(Aqua Timez)「決意の朝に」はいいです。
何年と行っていないカラオケで泣きながら歌える自信あるよ。歌詞が泣けます。歌詞の一部でも書いちゃうと著作権に引っかかるので書けませんが、調べて下さいな。

== 以下、長文で難解な言い回し多用です。苦手な方はスルー下さい ==

一方の本編の映画のほうが・・・。芳しくないところも聞きます・・・。
宮部ファンには申し訳ないけど、宮部みゆきという人間は自分にとってどうでも良くて、「ブレイブ〜」という作品だけを取ってきてなら自分でも「作品として」受け容れられるものなんですね。つまり、自分は作家で読んでいない。作品で小説なりとかを読むのです(そもそも真の作家なら名前で読まれることを嫌うはず。作品で読んで欲しいものでしょうから)。だから、W村上だからといって必ずも面白いとは限らないし(多分自分は作家として受け付けないけど)、無名だからってつまらないとは限らないのが、小説などの良さと言える訳ですよね。つまりこれは何を言いたいかというと、宮部ファンは「ブレイブ〜を完全な小説路線で映画化して欲しかった」といういわばワガママを言いたいのでしょうけど、映画を作る、いえこれは物書きとか無から有を創る人間が言えることなんですが、例えばゲームのアニメ化して作品がまるっきり変わってしまうように、それは別物としてしか存在しないってコトなんですよ。もっと言うと、エヴァの映画でも最後が良く分からないで終わって(それが却って今になっても人気になってしまったんだけど)、それを「破綻だ」と言うのは簡単なんですが、小説のように作家の好きなペースで好きな尺で起承転結を書けるわけではないのですから、全く別個のものとして受け容れた方が精神衛生上もよろしいのではないでしょうかね、という感じがします。そして、別個のものとして考えれば、今回のこの作品で語られていない、例えばミツルやワタルの現実世界での話だとかは各人の思うところに任せて、EDでもあの後がどうなったかというのは各人の中で息衝いていくものでしょうから、それを「あーでもないこーでもない」と例えば見た人同士で語り合うというのが、本来の映画の見方ではないでしょうか。そもそも、映画は娯楽でもありますが、芸術でもあります。娯楽というのはアメリカ・ハリウッドを筆頭にした「分かりやすくて見てて楽しめる」、いわば「受動的」な作品であることが多いわけです。おそらく批判なり肯定できない人の多くはこうした作品に慣れてしまっているからでしょう。自分で作品中に抜けた穴に自分の思考というパテで理解できなかった部分や語られなかった部分にシリコンを詰めて作品の仕上げをすることが出来ないというわけです。一方の芸術作品は「難解」として避けられることも多いのですが、「能動的」に見て行かないと面白くない。そもそも分からなくなる。そこら辺の違いがごっちゃになってしまって、さらには内容や原作まで語られてしまうと、おそらく解決の糸口は見えなくなってしまうのではないでしょうか。

ということもあり、私はこの作品を2つの意味で楽しみました。
一つは原作とは別個としてのただ娯楽の意味での「泣かせる」部分や「笑わせる」部分への楽しみ。
二つ目は映画の中で語られなかった部分や分からない部分の補完を自分の中でどんどん組み立てて行って自分なりの「勇気(brave)物語(story)」を完成させようという楽しみ。
勿論、それとはまた別に腐男子目線での楽しみも持っていますけどね。

とにかく言えるのは。
作品は全て敬意を払うべきです。作り上げた人がそこには存在するのですから。敬意を払えないのであれば、自分で作り上げていくべきです。出来ないなら、作品を受け容れるしかないでしょう。批判は誰でも出来ます。否定も出来ます。でも肯定は難しい。賛美も難しい。そしてもっと難しいのは、無から有を作り上げる作家の力です。
新聞雑誌テレビにラジオに映画に・・・情報は氾濫していますが、自分に出来ない作品であれば、それに対して敬意は払っていかねばならないと思いました。

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