はぁ・・・鬱・・・。
2006年4月24日 自立支援法(旧32条) コメント (2)何がどうしたと言うわけでもない。
こう考えたからと言って死ぬわけでもない。
でも、兎に角今が辛い、と言うか居た堪れなくて逃げ出したい、そんな感情。
世の中のどれ程の人がその感情に気づき、それが「鬱」若しくはそれに類する病的な物と気付いているのかは分かりませんが、少なくても自分は薬を飲まないと普段結構辛い時間が多い。
例えば電車の中。
ちょっと詰めればもう一人座れるのに、前に人が立っても退かない「若者ではない」オッサン。
例えば街中。
鞄がぶつかっても何と言うわけでもない、「我が道を行く」タイプのOL。
例えば車に乗っていて道路で。
猛スピードで後ろにくっ付いて来ては信号待ちでもピタッとくっ付いてプレッシャーを掛けるサラリーマン。
どれもこれも、自分が見てきて本当に嫌になる人達。
というか、「オトナ達」。
生活では自立しているのだろう、そして世間一般的には「いい人」若しくは「普通の人」などの部類に入るのだろう。でもある部分に於いては彼らは「アウトロー」な人間なのに。・・・なのにそういう人間が自由に闊歩し、そしてそう言った人間の方が上手く人生を謳歌でき、人並み若しくは人並み以上の生活を享受出来る。
そんなのを見せられると、自分が居た堪れないと言うか、自分の甲斐性なさというものをも含めて、全てを否定して逃げたくなってくる。でも、逃げても人生を進んでいる以上は彼らを見ないことは出来ないし、嫌でも目に入ってきてしまう。そして、目に入ってきた途端に自分は苦しんでいる・・・。
長い人生で、自分はそういう生活の連続だった。
どうして自分は上手く生きられないのだろう。いつも思う。そして、その思う事にさえ苦しんでいる。だから一つの楽しみを見つけた所が、「BL」だったのではないかなと思う。
少なくても自分は男で居なくて済む。
これは自分にとっては凄い楽なことだ。薬とさえ言って良い。
男であることが苦痛。
それは自立だとか、甲斐性だとか、男に求められる自分には存在しないものを自分に(社会的に)求められていることの苦痛。
BLを見ている自分は女だ。
女の人だから苦痛ではないとか、自立しなくて良いとか言う訳ではなく、少なくても男で居ることによってのプレッシャーからの解放、肩の荷が下りる様な感じがしている。
自分が普通に暮らせていたら、BLに興味は示さなかったかもしれない。それ以上にアキバ系になってたかもしれない。それはそれで人生なのだけども、それよりは今の自分で良かったと思っている。自分は自分自身が好きではない、好きではないけれどもそれよりはマシ、と思うから。
どっちが良いという論をするわけではなく、自分の中での自分の社会経験上の取捨選択での選択だ。
でも。
そうして色々と考えてしまって、結果的に寝られなくなっている、それも欝だったりして・・・。
自分をめぐる多くのことが鬱なんだな・・・と改めて思う。
こう考えたからと言って死ぬわけでもない。
でも、兎に角今が辛い、と言うか居た堪れなくて逃げ出したい、そんな感情。
世の中のどれ程の人がその感情に気づき、それが「鬱」若しくはそれに類する病的な物と気付いているのかは分かりませんが、少なくても自分は薬を飲まないと普段結構辛い時間が多い。
例えば電車の中。
ちょっと詰めればもう一人座れるのに、前に人が立っても退かない「若者ではない」オッサン。
例えば街中。
鞄がぶつかっても何と言うわけでもない、「我が道を行く」タイプのOL。
例えば車に乗っていて道路で。
猛スピードで後ろにくっ付いて来ては信号待ちでもピタッとくっ付いてプレッシャーを掛けるサラリーマン。
どれもこれも、自分が見てきて本当に嫌になる人達。
というか、「オトナ達」。
生活では自立しているのだろう、そして世間一般的には「いい人」若しくは「普通の人」などの部類に入るのだろう。でもある部分に於いては彼らは「アウトロー」な人間なのに。・・・なのにそういう人間が自由に闊歩し、そしてそう言った人間の方が上手く人生を謳歌でき、人並み若しくは人並み以上の生活を享受出来る。
そんなのを見せられると、自分が居た堪れないと言うか、自分の甲斐性なさというものをも含めて、全てを否定して逃げたくなってくる。でも、逃げても人生を進んでいる以上は彼らを見ないことは出来ないし、嫌でも目に入ってきてしまう。そして、目に入ってきた途端に自分は苦しんでいる・・・。
長い人生で、自分はそういう生活の連続だった。
どうして自分は上手く生きられないのだろう。いつも思う。そして、その思う事にさえ苦しんでいる。だから一つの楽しみを見つけた所が、「BL」だったのではないかなと思う。
少なくても自分は男で居なくて済む。
これは自分にとっては凄い楽なことだ。薬とさえ言って良い。
男であることが苦痛。
それは自立だとか、甲斐性だとか、男に求められる自分には存在しないものを自分に(社会的に)求められていることの苦痛。
BLを見ている自分は女だ。
女の人だから苦痛ではないとか、自立しなくて良いとか言う訳ではなく、少なくても男で居ることによってのプレッシャーからの解放、肩の荷が下りる様な感じがしている。
自分が普通に暮らせていたら、BLに興味は示さなかったかもしれない。それ以上にアキバ系になってたかもしれない。それはそれで人生なのだけども、それよりは今の自分で良かったと思っている。自分は自分自身が好きではない、好きではないけれどもそれよりはマシ、と思うから。
どっちが良いという論をするわけではなく、自分の中での自分の社会経験上の取捨選択での選択だ。
でも。
そうして色々と考えてしまって、結果的に寝られなくなっている、それも欝だったりして・・・。
自分をめぐる多くのことが鬱なんだな・・・と改めて思う。
コメント
おひさしぶりです、ミカエルです。
「そこいいですか?」って、自分で座る
「ちょっと、彼女、ぶつかってるぜ!」って、すぐさま言う
ぴったりつけて来る車には、何処かで、前後入れ替わって、かわりに、後ろからピッタリ、くっついて行く。
人間てささいな事で、気分がナーバスになる。大事件と同じくらい。その場で解決しちゃえば、意外と気分が落ち込みません。納豆さま、さま!どうかな?
めんどくさいかな?
そうすればいいんですけどね、と言うか時たまやっているんですけど、それでは根本的な解決にならないと言うか・・・。
結局「完璧主義」に生きてしまう自分なんでしょうか。
(父親が57の時に生まれた今生きていたら90を超える人に育てられると、「男なら」と言う定冠詞のついた人生を求められるので、それで完璧主義を刷り込まれたような気がしますが。)
とにかく、それでも昔よりは良くなったのかなという程度にはちょっとづつ快方に向かっているような気はしています。なので、色々と有難うございます。
めんどくさくはないので、どこかの場面でやってやろうかと思ってます。