腐女子(男子)にとっての作品中の「血」や「包帯」
2006年4月12日 BL/腐男子のコト今日の日記は18歳以下の読んじゃダメね。大人になってからね〜。
カミサンによく聞かれるのだが・・。
カミサンはこれが許せないらしい。
「アニメと言ってもそういうものを出しているのが気持ち悪い」などと(猟奇的なものは嫌いらしい)。
ちなみに、自分も猟奇的なものはあんまり好きではないんですが(ついでにいうと、「ひぐらしのなく頃に」あたりはいくらノーマルエロ好みのカミサンと言え範疇には無いそうだ。)
これに就いての一考。
○「腐女子にとっての『血』」は『ぶっかけ』である。
おそらくと言う推測に過ぎないが、ノーマルエロで言う所の『ぶっかけ』(=精液を女性の体中にぶちまけるシーンのこと)と同じような感じを受けている。
多分、血にまみれるシーン、及び切られて(切って)流血しているシーンは、「体液」と言う部分からも連想に難くないように、「ぶっかけ」のようなエロさを感じているのではないかと(ついでにいうと、「切る」のは『攻め』であり「切られる」の『受け』である=切る方は相手の体に血が生じる、切られた側は相手に『切る』と言う行為をされた上で血を生じさせられた、と考えるといい)。
無論、カミサンが言うようにそういうものを「エロ」としてのスパイスとして用いるのはちょっと人道的というか倫理的にあんまり宜しくは無いわけではあるが、それにしても精液を男子にぶっかけているところの方がよっぽど倫理的にまずいのではないかと言う部分もあり、おそらく「ぶっかけ」なのではないか、と。
また、腐女子にとっては毎月の下り物という意味で『血』には縁深いと言う部分も興味深い。
これも腐男子にとっては推測でしかないのだが、女性にとっての「血」は比較的自分の『精』としてみている部分もあるのではないか。だとすると、『血』を「ぶっかけ」ることにより、自分の『精』をぶちまけていると言うようにも読めなくも無い。
勿論、中には「やおい」作品の中でも「ぶっかけ」シーンを多用する作家はいる。まぁ、「グラビテーション」で知られる村上真紀などは、同人誌の中で十中八九描いている。その中での流血はあくまでも「パロ」として描いているだけでそこにエロを感じないと言う部分を見るにつけ、更にその推察は真実に思えてくる(おそらく、流血シーンでエロっぽく書くことも村上真紀なら可能だろうが、それより真にエロシーンが存在することによりそっちが霞むことを見越してパロにしているのではないかと思う)。
○腐女子にとっての「包帯」
古来、女性は「纏足(てんそく)」や日本での着物など、「縛り付けられてきた」モノを身に纏って来た。だからというわけではないだろうが、確かに「包帯」が好きな腐女子は多い。
(例えばポップンミュージックのスマイルだっけ?)
疑う余地の無いこととして、「包帯」は白である。それは「精」のそれと同じ色であり、そしてその包帯が行う止血の「血」は赤であり、「白と赤」は読み替えると「男性の精と女性の精」ともいえる。包帯に血がにじむ、と言う表現にはそうした部分に「エロ」さを感じるのではないか、と言うように感じている(確かに言われてみれば、「やおい」で『白と白』の精を描いた所で、そこにはコントラストが存在しないから表現的には「弱い」。より性的な表現にするためには『白と赤』であって当然なのだろう。時折「やおい」の『破瓜』として流血しての上の精を描く作家もいるが、これはその部分にもよるのかもしれない)。
自分は血などでも性的な衝動があることは感じられる。しかし、先に述べた村上真紀などの同人誌の方がより感じられる、と言う部分を鑑みると、ここら辺が「腐女子」と「腐男子」の違いと言えるのかもしれない。
カミサンによく聞かれるのだが・・。
カミサンはこれが許せないらしい。
「アニメと言ってもそういうものを出しているのが気持ち悪い」などと(猟奇的なものは嫌いらしい)。
ちなみに、自分も猟奇的なものはあんまり好きではないんですが(ついでにいうと、「ひぐらしのなく頃に」あたりはいくらノーマルエロ好みのカミサンと言え範疇には無いそうだ。)
これに就いての一考。
○「腐女子にとっての『血』」は『ぶっかけ』である。
おそらくと言う推測に過ぎないが、ノーマルエロで言う所の『ぶっかけ』(=精液を女性の体中にぶちまけるシーンのこと)と同じような感じを受けている。
多分、血にまみれるシーン、及び切られて(切って)流血しているシーンは、「体液」と言う部分からも連想に難くないように、「ぶっかけ」のようなエロさを感じているのではないかと(ついでにいうと、「切る」のは『攻め』であり「切られる」の『受け』である=切る方は相手の体に血が生じる、切られた側は相手に『切る』と言う行為をされた上で血を生じさせられた、と考えるといい)。
無論、カミサンが言うようにそういうものを「エロ」としてのスパイスとして用いるのはちょっと人道的というか倫理的にあんまり宜しくは無いわけではあるが、それにしても精液を男子にぶっかけているところの方がよっぽど倫理的にまずいのではないかと言う部分もあり、おそらく「ぶっかけ」なのではないか、と。
また、腐女子にとっては毎月の下り物という意味で『血』には縁深いと言う部分も興味深い。
これも腐男子にとっては推測でしかないのだが、女性にとっての「血」は比較的自分の『精』としてみている部分もあるのではないか。だとすると、『血』を「ぶっかけ」ることにより、自分の『精』をぶちまけていると言うようにも読めなくも無い。
勿論、中には「やおい」作品の中でも「ぶっかけ」シーンを多用する作家はいる。まぁ、「グラビテーション」で知られる村上真紀などは、同人誌の中で十中八九描いている。その中での流血はあくまでも「パロ」として描いているだけでそこにエロを感じないと言う部分を見るにつけ、更にその推察は真実に思えてくる(おそらく、流血シーンでエロっぽく書くことも村上真紀なら可能だろうが、それより真にエロシーンが存在することによりそっちが霞むことを見越してパロにしているのではないかと思う)。
○腐女子にとっての「包帯」
古来、女性は「纏足(てんそく)」や日本での着物など、「縛り付けられてきた」モノを身に纏って来た。だからというわけではないだろうが、確かに「包帯」が好きな腐女子は多い。
(例えばポップンミュージックのスマイルだっけ?)
疑う余地の無いこととして、「包帯」は白である。それは「精」のそれと同じ色であり、そしてその包帯が行う止血の「血」は赤であり、「白と赤」は読み替えると「男性の精と女性の精」ともいえる。包帯に血がにじむ、と言う表現にはそうした部分に「エロ」さを感じるのではないか、と言うように感じている(確かに言われてみれば、「やおい」で『白と白』の精を描いた所で、そこにはコントラストが存在しないから表現的には「弱い」。より性的な表現にするためには『白と赤』であって当然なのだろう。時折「やおい」の『破瓜』として流血しての上の精を描く作家もいるが、これはその部分にもよるのかもしれない)。
自分は血などでも性的な衝動があることは感じられる。しかし、先に述べた村上真紀などの同人誌の方がより感じられる、と言う部分を鑑みると、ここら辺が「腐女子」と「腐男子」の違いと言えるのかもしれない。
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