04月07日付 朝日新聞の報道「「愛する」は偽物くさい 首相が文化庁長官と恋愛談義」へのコメント:

コイズミはバツイチだしね・・・。

という自分も、あんまり『愛する』と言う言葉を使わないことは再三書いている通り。
そもそも、『愛』と言う言葉自体、日本ではそぐわないというか、キリスト教圏の言葉のような気がしてならないからだ。

「love」が実は『愛』と言う焼くだけではおさまりきれない言葉であるように、日本ではそんなに使われる言葉でもなかった。
再三使われるようになったのは、つい2〜300年位のことだろう。

そういう部分を見ると、どうしても使う気にはなれない。

それ以上に、「愛する」と言う言葉で全ての言葉が隠れてしまうように思えてならない部分も多い。

例えば、『愛する』と言う言葉の代わりに、その人に対する気持ちをきちんと表現できるような言葉をその人なりの言葉で表現していきたいのだ。
それを簡単に紋切的に、あるいはステレオタイプに、『愛する』と言う言葉だけで片付けていいのか、と。

だから自分は、言葉に苦労する。

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