イラクで日本人とみられる遺体 香田さんの可能性高い [朝日新聞]
2004年10月30日 時事ニュース
10月30日付 朝日新聞の報道「イラクで日本人とみられる遺体 香田さんの可能性高い」へのコメント:
そもそも、合法的に人が人を殺せるのには、二つの方法があります。
1:死刑による。
2:戦争による。
それに加え、今日から三つ目が生まれたわけです。
3:自己責任という名のもとに、「大義名分」を振りかざし見殺しにする。
ということが。
ついに、この国は「大義名分」の名の許に、一人の命を無駄にしました。
「自衛隊は撤退させない」という大義名分。
「アメリカと仲良くやっていくコバンザメ政府」の大義名分。
「イスラムを理解しようとしない意固地な国」の大義名分。
色々と言い方は考えられますが、答えは同じです。
「国は、大きな果実を取ろうとするあまり、一人の人を見殺しにした」
かくいうことに尽きると思います。
色々な意見があることは承知している。
だけど、一人の人間の命の重みは全部同じ。これは誰も疑いようのない事実。
しかし、その命の重みより、アメリカとの同盟の結束を選んだ訳です。
アメリカとの関係よりも、一人の犠牲は厭わない。
冷静に、しかし冷酷にインタビューを受けるコイズミくん。
あなたは、ドクサイシャですか?
一人の命も救えない、ギゼンシャですか?
人の命を見殺しに出来る、アクマですか?
あなたがここを読むことはありえないだろうけれども、精一杯の「疑問」を投げつけてやりたい。
あなたはそんなにエライのか?と。
一人の命を見殺しに出来るカミサマなのか?と。
ボランティアだろうが、間違っていった旅行者だろうが、こういうことが起きて改めて自分は思った。
この国の政治の今の流れは、昔何処か出来た道だ、と。
あの頃には戻りたくない(というか自分は生まれていなかったけど)、戻したくない。
そういう時、無力な自分はどうしたらいいんだろうか。
マスコミにもいられなくなった。
どこの会社も、こういう自分を採用するつもりもないらしい。
自分を発信する術は、ここしかない。
無力だ。
でも、もう一度言おう。
「昔ノ悪イ日本ニ、確実ニ今、向カツテヰルヨウダ」
合掌。
そして、政府を睨めつける自分がいる。
そもそも、合法的に人が人を殺せるのには、二つの方法があります。
1:死刑による。
2:戦争による。
それに加え、今日から三つ目が生まれたわけです。
3:自己責任という名のもとに、「大義名分」を振りかざし見殺しにする。
ということが。
ついに、この国は「大義名分」の名の許に、一人の命を無駄にしました。
「自衛隊は撤退させない」という大義名分。
「アメリカと仲良くやっていくコバンザメ政府」の大義名分。
「イスラムを理解しようとしない意固地な国」の大義名分。
色々と言い方は考えられますが、答えは同じです。
「国は、大きな果実を取ろうとするあまり、一人の人を見殺しにした」
かくいうことに尽きると思います。
色々な意見があることは承知している。
だけど、一人の人間の命の重みは全部同じ。これは誰も疑いようのない事実。
しかし、その命の重みより、アメリカとの同盟の結束を選んだ訳です。
アメリカとの関係よりも、一人の犠牲は厭わない。
冷静に、しかし冷酷にインタビューを受けるコイズミくん。
あなたは、ドクサイシャですか?
一人の命も救えない、ギゼンシャですか?
人の命を見殺しに出来る、アクマですか?
あなたがここを読むことはありえないだろうけれども、精一杯の「疑問」を投げつけてやりたい。
あなたはそんなにエライのか?と。
一人の命を見殺しに出来るカミサマなのか?と。
ボランティアだろうが、間違っていった旅行者だろうが、こういうことが起きて改めて自分は思った。
この国の政治の今の流れは、昔何処か出来た道だ、と。
あの頃には戻りたくない(というか自分は生まれていなかったけど)、戻したくない。
そういう時、無力な自分はどうしたらいいんだろうか。
マスコミにもいられなくなった。
どこの会社も、こういう自分を採用するつもりもないらしい。
自分を発信する術は、ここしかない。
無力だ。
でも、もう一度言おう。
「昔ノ悪イ日本ニ、確実ニ今、向カツテヰルヨウダ」
合掌。
そして、政府を睨めつける自分がいる。
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