それにしても、子供の教育をどうするのかね・・・。
うちの近くの道路にはみ出た、その近くの家に遊びに来ている子供の自転車を見て、つくづく思う。

親が何も言わないとこういうことになるってことを、どうして理解できないのかね。
まぁ、その自転車をよっぽどおとといの川の方に捨ててきてやろうかとも思ったんだけど、それも大人気ないからやめたけど。

ともかく、別な大人が言うと、かえって怒られたりするからね。

「うちにはうちの教育があるんです!」
じゃ教育とやらを語ってもらおうじゃないの、とか思ってしまいますが、さすがにそれをするのも大人気ないのでやらないけど。

それと困るのが。
「ほら、他の人が怒るから、ちゃんとしましょうね」
だね。
「他の人が怒るから」じゃなくて、親御さんが怒りなさい。他の人云々の問題ではないよ。

大体、電車でどれだけの迷惑行為があるかって、語りつくせないくらいある訳だけど、そういうところでも好き勝手やらせるから、「どこでも我が家症候群」と自分は呼んでいるんだけど、どこでも自分の家のように振舞える。
「余所行き」の服、というのがあった時代では、そういうよその所に行ったら恥をかかないようにしなさいという教えを受けたものだけどね。

やはり、日本人に「恥」がなくなってると思う。

勉強について。
親がやらせたくないならいい。でも、「やらないならやらないでいい」と子供にまったく寛容的なのも許せない。
家庭教師をやってて、正直一番困るのは「小学校レベル」の勉強が出来ない子。それで中学の勉強を教えてください、やれ高校受験です、といわれても困るのよ。
「無理です」
と言いたくもなるんだけど、そこはお客さんなので、じっと我慢して一から教えていくんだけど、その大変さと言ったら。
困るのは、社会に出てからだよ。
いや、数学とか必要がないという意見もあるんだけど、自分が進みたい道によっては、必要になることもあるだろう。なので、自分は勉強は人並みにとりあえずはやって欲しいと思うんだけど、道路とか歩いていても、遊んでいる子供が多くて、勉強している暇があるのかなと勘繰ってしまう。
少なくても。
勉強はやったに越したことはないよ。
やらないでおいて(親もやっていないくせに)、「勉強なんて何の役にも立たない」とか言うのを聞くと、やはり虫唾が走るね。
かくいう自分。
音楽をもっとやっておきたかったもの。今になって作曲とか出来たら、どれだけこの心の叫びを曲に出来たか。売れるかどうかは別として。数学だって、もうちょっと出来ていたら、クリエイターの道に行ったよ。

無論。
社会勉強も必要でしょう。それと、人間関係の勉強も必要でしょう。でも、その根底にあるのは、基本の勉強ってことは忘れてはいけないね。
まぁ、がむしゃらに勉強して体壊すくらいなら、そこまでしなくてもいいんだけど。体力も必要だからね。

つまりは。
勉強を(あたかも「悪」のように)「しない」と決め付けるよりも、自分の道を見つけるために勉強するんであって、その道(夢)を見つけないままで勉強するのは苦痛だし、だからこそ夢は持っていた方がいいし、その夢に向かって勉強だの、体力だのを考えて大人になっていくべきよねってこと。
もし、夢が出来ないんだったら、しょうがないから人並みの勉強をするほうが、理に適っていると思う。
・・・と、大人になってもうちょっと勉強したいと思っている自分は思うのでした。

さて・・・。
それにしても・・・。
気象予報士の資格取りたいな、とか思っているんですが。
資格フェチの虫が出てきました・・・。

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