最初に断っておきますが、「ゆとり教育」全面否定するつもりもないです。
ただ
「犯罪の低年齢化」=「詰め込み教育の弊害」
というのは、間違っていませんか?
「詰め込み教育の弊害」=「ゆとり教育」
というのも、ちょっと違いますでしょう。
「ゆとり教育」=「心の教育」
という方程式も、成り立たないと思うんですよ。
しかし、これを全部「=」で結んだような教育制度には、さすがに辟易してしまうのです。
もともと、「ゆとり教育」というのは、若い人にはわからないかもしれませんが「積木崩し」という本(ドラマにもなった)が流行っていた頃、その当時の不良たちが「詰め込み教育」からあぶれてしまったことから出てきたわけですけど、だからこうした制度にしたのは、短絡的過ぎてはいないのかなと思いますね。
(ただ考えて欲しいのは、どっちかというと現在でもちょっと昔でも、真面目に勉強している人よりはちょっと不良でいる方が「かっこいい」ということでもてはやされた訳です。これでそっちに向かう人間もかなりいたわけで、そう考えると、真面目に生きる人間を馬鹿にした制度なんですよ。「ゆとり」ということで自分の才能を伸ばせるきっかけを失うわけですから。)
ただ、かく言う自分も、道徳の時間なんか、本当に暇で仕方なかった。そして、最近のそれを見てみると、「新興宗教かな」って思うほど「お寒い」作りになっているのです。だから、子供たちはそういう授業に積極的に取り組まないことが多いのではないんですかね。
基本的に、子供は自分のことしか考えません(色々意見はありますでしょうが、そう考えるほうが自然です)。
ということは、自分の問題にフィードバックさせないと、問題を問題として認識しないのではないでしょうかね。だからこそ、ディベートというか、相手と1対1で話すだとか、リアルな部分を教育させるべきだと思うんですけど。文字面(づら)だけではなく。
日本語の教育の拡充を言うのは、たとえば「読書感想文」なんかは特にそうなんだけども、その作品から自分が感じたことを、自分の人生に置き換えたりして「語る」もの。感想文というのは、文字面ではありますが、文字面ではないんですよ。
まぁ、自分も得意だったわけではないんですけどね。
また、ちょっと大人びた子供だと、そういう小手先の事実を知っているので、うまく書き上げて先生にゴマをする子供もいますけど。
ただ、感想文というのは、何を言うにも自由なわけでそれに賞を設けるの自体が間違っているんですけどね。
有名な作品をまず挙げると。
「走れメロス」で感想文を書くとします。
子供なりに、「約束は大事だと思いました」など書くでしょう。そこで、それを元にその事に相対して話すきっかけにもなる。たとえば「どういう時にそれは役に立つかな?」など。
でもこれは、学校だけではなく、家庭でもできる。
桃太郎だって何でもいい、楽しいだけではなくて、そこに何を感じたか。そういうのを話し合うだけでも、全然方向は違ってくると思う。
その上で、テレビの「虚構」を見せて、「これをどう思うか」と聞くと、更にいいと思う。
ともかく、ただ与えられた課題をやる「詰め込み教育」ではなくて、「考える教育」を求めているわけですよ。これは、先に書いた「ゆとりの教育」でも「心の教育」でもない。
国語で「この時○○の心情を考えなさい」などの設問が出てきて、それに対して「そんなの分からない」ということで終わりにさせるのではなく(実際、こうした設問に選択方式でもない限り答えない子供が多いです=家庭教師で見てきていますので分かるのですけど。間違ってもいいから考えて欲しいのです)、考えることが重要なのです。だから国語ではそういう設問が多いんですけど。
よって、そういう「考えさせる」ということをするために若干の勉強量が減ることを否定していない(=「ゆとり教育」の全否定ではない)のです。
親も「考えて」あげなくてはいけない。
すごく大変だと思うけれども、それは親としての義務、でしょう。仕事などにかまけるのもいいですが、やはり親は子供の鑑。「考える」姿勢を持つことが重要なのではないのですかね。
間違ってますかね?
まぁ、ここまでネットが普及し、もうこの考え方はステレオタイプな感じもしますし、なかなかこれを実行するのは難しいのも分かりますけど、子供を助けるのも壊すのも、大人なんだから、大人として子供たちを考えていかないと仕方ないでしょう。
そのための努力は、私はいといませんよ。
【更新6日17時】
ということで、やっとホーリーホックカード(NICOSカード)が到着しました。
本体も届いたことなので、ETCも付けてこようということで、イエローハットに出掛けたら、定価販売。
「高い!」
ということで、ちょっと遠出をして(ちょっと位ならハイブリッドカーだと安く済むので)セットアップなどしてもらいました。
何とかこれで前払い登録の申請も出したので、来週には使える様子。でも、山形戦のホームゲームには間に合いませんね。
しょうがないので、余っているハイウェイカードを使い。それでも余ったものをETCに追加する。
ってことでどうでしょう。
ちなみに。
イエローハットはあんまり行きたくなかったの。やはり鹿島のサポーティングカンパニーなので。かと言いつつ、そもそもカーショップにはこれが初めて行ったんですけどね。そもそも車に全然興味がなくて、乗れればいいという考えなので。それで燃費が良ければ最高です、ってことでハイブリッドカーだったのです。
しかし・・・自分。
新しい物好きというのは、いつまで経っても変わらないな。
しかもこれで帰りに、「ほっかほっか亭」でのり弁を買って帰るって時点で、ちょっと泣けてきませんかね???
ただ
「犯罪の低年齢化」=「詰め込み教育の弊害」
というのは、間違っていませんか?
「詰め込み教育の弊害」=「ゆとり教育」
というのも、ちょっと違いますでしょう。
「ゆとり教育」=「心の教育」
という方程式も、成り立たないと思うんですよ。
しかし、これを全部「=」で結んだような教育制度には、さすがに辟易してしまうのです。
もともと、「ゆとり教育」というのは、若い人にはわからないかもしれませんが「積木崩し」という本(ドラマにもなった)が流行っていた頃、その当時の不良たちが「詰め込み教育」からあぶれてしまったことから出てきたわけですけど、だからこうした制度にしたのは、短絡的過ぎてはいないのかなと思いますね。
(ただ考えて欲しいのは、どっちかというと現在でもちょっと昔でも、真面目に勉強している人よりはちょっと不良でいる方が「かっこいい」ということでもてはやされた訳です。これでそっちに向かう人間もかなりいたわけで、そう考えると、真面目に生きる人間を馬鹿にした制度なんですよ。「ゆとり」ということで自分の才能を伸ばせるきっかけを失うわけですから。)
ただ、かく言う自分も、道徳の時間なんか、本当に暇で仕方なかった。そして、最近のそれを見てみると、「新興宗教かな」って思うほど「お寒い」作りになっているのです。だから、子供たちはそういう授業に積極的に取り組まないことが多いのではないんですかね。
基本的に、子供は自分のことしか考えません(色々意見はありますでしょうが、そう考えるほうが自然です)。
ということは、自分の問題にフィードバックさせないと、問題を問題として認識しないのではないでしょうかね。だからこそ、ディベートというか、相手と1対1で話すだとか、リアルな部分を教育させるべきだと思うんですけど。文字面(づら)だけではなく。
日本語の教育の拡充を言うのは、たとえば「読書感想文」なんかは特にそうなんだけども、その作品から自分が感じたことを、自分の人生に置き換えたりして「語る」もの。感想文というのは、文字面ではありますが、文字面ではないんですよ。
まぁ、自分も得意だったわけではないんですけどね。
また、ちょっと大人びた子供だと、そういう小手先の事実を知っているので、うまく書き上げて先生にゴマをする子供もいますけど。
ただ、感想文というのは、何を言うにも自由なわけでそれに賞を設けるの自体が間違っているんですけどね。
有名な作品をまず挙げると。
「走れメロス」で感想文を書くとします。
子供なりに、「約束は大事だと思いました」など書くでしょう。そこで、それを元にその事に相対して話すきっかけにもなる。たとえば「どういう時にそれは役に立つかな?」など。
でもこれは、学校だけではなく、家庭でもできる。
桃太郎だって何でもいい、楽しいだけではなくて、そこに何を感じたか。そういうのを話し合うだけでも、全然方向は違ってくると思う。
その上で、テレビの「虚構」を見せて、「これをどう思うか」と聞くと、更にいいと思う。
ともかく、ただ与えられた課題をやる「詰め込み教育」ではなくて、「考える教育」を求めているわけですよ。これは、先に書いた「ゆとりの教育」でも「心の教育」でもない。
国語で「この時○○の心情を考えなさい」などの設問が出てきて、それに対して「そんなの分からない」ということで終わりにさせるのではなく(実際、こうした設問に選択方式でもない限り答えない子供が多いです=家庭教師で見てきていますので分かるのですけど。間違ってもいいから考えて欲しいのです)、考えることが重要なのです。だから国語ではそういう設問が多いんですけど。
よって、そういう「考えさせる」ということをするために若干の勉強量が減ることを否定していない(=「ゆとり教育」の全否定ではない)のです。
親も「考えて」あげなくてはいけない。
すごく大変だと思うけれども、それは親としての義務、でしょう。仕事などにかまけるのもいいですが、やはり親は子供の鑑。「考える」姿勢を持つことが重要なのではないのですかね。
間違ってますかね?
まぁ、ここまでネットが普及し、もうこの考え方はステレオタイプな感じもしますし、なかなかこれを実行するのは難しいのも分かりますけど、子供を助けるのも壊すのも、大人なんだから、大人として子供たちを考えていかないと仕方ないでしょう。
そのための努力は、私はいといませんよ。
【更新6日17時】
ということで、やっとホーリーホックカード(NICOSカード)が到着しました。
本体も届いたことなので、ETCも付けてこようということで、イエローハットに出掛けたら、定価販売。
「高い!」
ということで、ちょっと遠出をして(ちょっと位ならハイブリッドカーだと安く済むので)セットアップなどしてもらいました。
何とかこれで前払い登録の申請も出したので、来週には使える様子。でも、山形戦のホームゲームには間に合いませんね。
しょうがないので、余っているハイウェイカードを使い。それでも余ったものをETCに追加する。
ってことでどうでしょう。
ちなみに。
イエローハットはあんまり行きたくなかったの。やはり鹿島のサポーティングカンパニーなので。かと言いつつ、そもそもカーショップにはこれが初めて行ったんですけどね。そもそも車に全然興味がなくて、乗れればいいという考えなので。それで燃費が良ければ最高です、ってことでハイブリッドカーだったのです。
しかし・・・自分。
新しい物好きというのは、いつまで経っても変わらないな。
しかもこれで帰りに、「ほっかほっか亭」でのり弁を買って帰るって時点で、ちょっと泣けてきませんかね???
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