キングギドラVSドラゴンアッシュ
2002年10月13日どっちもどうでもいいんだけど。
曲は好きでも嫌いでもないし。
(ドラゴンアッシュの前向きの曲っぽい「陽はまたのぼり〜」は好きだけど。)
キング〜は、どうかしているのかね。
というか、それも「売り」としてのセールス?。
「○○○みたいに訴えるか」
って、同性愛者に向けての表現を上手く消しているんだろうけど、何だかむかつくね。
自分は同性愛者でも何でもないけど、好きなら好きでどうしようもないとは思うけども、そうして馬鹿にしたりする権利が、どこにあるのかね。
ましてや、ただの歌手よ。
偉くも何ともない。
発言力はあるよ。影響力というか。
それを考えると、本当は言葉を選んでもらいたいものだな。
以前に同性愛者への差別表現でCDの販売について色々とあったけど、それは自分の身から出た錆。
サウスパークとか、そういうアングラチックな、アメリカのアングラというか・・・を真似するってのは、やはり上等の頭の持ち主ではないな、と思う。
(変な話、そういうのを見ているアメリカの人たちの多くは、いわゆる『低学歴』なギャングの子供たちとかなのよね・・・。高学歴の家庭およびその子供たちなどは見向きもしない。また別な話になるけど、ジーンズなんかも、最下層の労働者が穿いてたものでね。プロレタリアートな代物なので、自分としてはあんまり好きにはなれないね。ブルジョワだもん、自分は。)
それだけ、そういう下らないものに影響をうけるんだね。こういう人間は。
それは、2チャンネラーにも言えるけど。
くだを巻いて、もしくは他人を卑下して、アングラな自分を気取ってかっこつけるってのは、恥ずかしいというよりもそれだけ自分が卑下されるべき存在ってことに気づかない。
だめな人間でもいいと思うよ。
それでも芸がいいなら。
でも、こういう人間なんて、どうせ長くても芸能人でいられるのはあと5年程度。
それは芸当として大したことのない表れ。
芸ってのは、そんなに簡単なものではないってことよね。
だからこそ。
昔の美空ひばりとかはすごいな、ってのよね。
彼女は、一度英語の曲なりフランス語の曲なりを聞くと、歌詞や楽譜を見ずに、歌えたって言うのよね。
彼女は英語も何も外国語は話せないのに。
そういうのを天才、というし、それを芸というの。
それ以外は、あくまでも時流に乗って、流行に乗れた『ついている』人間ってだけ。
だからこそ、何でもやって、生きているうちの利益を出そうとしているってことなんだろうけど、見苦しいね。
本物の歌い手さんを求む。
作曲も。
ただかっこつけだけではない、生涯に残せるものをな。
今でも『上を向いて歩こう』歌うと泣けるもんな。そういうものを求める〜!。
さて・・・。
アメリカで最も任期のなかったカーター元大統領。
ノーベル平和賞とは・・・。
何かしら政治的な意図は感じるけど、冷戦時代にも同じようなことはあった訳よね。
そう考えたら、今回の授賞はまだマシだと思う・・・。
update 13th 18:00
いよいよ酷いかもしれない・・・。
土曜日に、心療内科に行こうと思ったけど、結局起きることが出来ずに、外に行くのも億劫になってしまった。
今週は行こう・・・。
久しぶりにCFの話。
AC(公共広告機構)の『ペットボトル篇』は最近のACのCFでは、特に秀逸ですね。
パパイヤ鈴木のキャスティングもいいし、若い人を訴求対象にしているのが、実際にペットボトルを使うことの多いのは若い人だし、いいんではないかな。
「私たちは地球という星に生まれた」
というコピーも、まぁ使い古されたような感じではあるけど、うるさくなくていい。
何度も書いているけど、リサイクルだの何だの、そういったことを冷たく見て斜に構えてかっこつけているよりは、やっている人の方が美しい。
前に書いたのは、「ボランティア」について同じようなことを書いたわけだけど。
どうしても、キング〜みたいな人たちってのは、そういうのをくそ食らえって思ってるんだろうけどね、でもそうやって何もしなかったら、本当に何も出来ないんだけど。
と・・・。
うちの町では、ペットボトルおよび食品トレーが通常のゴミ袋とは違う袋で回収をし始めた模様。
しかし、自分は近くのスーパーで回収をしているので、持っていってますけどね。
その方が安上がりだし、それ以上に「持っていく」という部分と「店頭で回収ボックスに入れる」という部分で、『何かやっている』ということを自分で強く感じることが出来る。
とにかく。
自分は出来ることをしているまで。
斜に構えたくもないしね。
曲は好きでも嫌いでもないし。
(ドラゴンアッシュの前向きの曲っぽい「陽はまたのぼり〜」は好きだけど。)
キング〜は、どうかしているのかね。
というか、それも「売り」としてのセールス?。
「○○○みたいに訴えるか」
って、同性愛者に向けての表現を上手く消しているんだろうけど、何だかむかつくね。
自分は同性愛者でも何でもないけど、好きなら好きでどうしようもないとは思うけども、そうして馬鹿にしたりする権利が、どこにあるのかね。
ましてや、ただの歌手よ。
偉くも何ともない。
発言力はあるよ。影響力というか。
それを考えると、本当は言葉を選んでもらいたいものだな。
以前に同性愛者への差別表現でCDの販売について色々とあったけど、それは自分の身から出た錆。
サウスパークとか、そういうアングラチックな、アメリカのアングラというか・・・を真似するってのは、やはり上等の頭の持ち主ではないな、と思う。
(変な話、そういうのを見ているアメリカの人たちの多くは、いわゆる『低学歴』なギャングの子供たちとかなのよね・・・。高学歴の家庭およびその子供たちなどは見向きもしない。また別な話になるけど、ジーンズなんかも、最下層の労働者が穿いてたものでね。プロレタリアートな代物なので、自分としてはあんまり好きにはなれないね。ブルジョワだもん、自分は。)
それだけ、そういう下らないものに影響をうけるんだね。こういう人間は。
それは、2チャンネラーにも言えるけど。
くだを巻いて、もしくは他人を卑下して、アングラな自分を気取ってかっこつけるってのは、恥ずかしいというよりもそれだけ自分が卑下されるべき存在ってことに気づかない。
だめな人間でもいいと思うよ。
それでも芸がいいなら。
でも、こういう人間なんて、どうせ長くても芸能人でいられるのはあと5年程度。
それは芸当として大したことのない表れ。
芸ってのは、そんなに簡単なものではないってことよね。
だからこそ。
昔の美空ひばりとかはすごいな、ってのよね。
彼女は、一度英語の曲なりフランス語の曲なりを聞くと、歌詞や楽譜を見ずに、歌えたって言うのよね。
彼女は英語も何も外国語は話せないのに。
そういうのを天才、というし、それを芸というの。
それ以外は、あくまでも時流に乗って、流行に乗れた『ついている』人間ってだけ。
だからこそ、何でもやって、生きているうちの利益を出そうとしているってことなんだろうけど、見苦しいね。
本物の歌い手さんを求む。
作曲も。
ただかっこつけだけではない、生涯に残せるものをな。
今でも『上を向いて歩こう』歌うと泣けるもんな。そういうものを求める〜!。
さて・・・。
アメリカで最も任期のなかったカーター元大統領。
ノーベル平和賞とは・・・。
何かしら政治的な意図は感じるけど、冷戦時代にも同じようなことはあった訳よね。
そう考えたら、今回の授賞はまだマシだと思う・・・。
update 13th 18:00
いよいよ酷いかもしれない・・・。
土曜日に、心療内科に行こうと思ったけど、結局起きることが出来ずに、外に行くのも億劫になってしまった。
今週は行こう・・・。
久しぶりにCFの話。
AC(公共広告機構)の『ペットボトル篇』は最近のACのCFでは、特に秀逸ですね。
パパイヤ鈴木のキャスティングもいいし、若い人を訴求対象にしているのが、実際にペットボトルを使うことの多いのは若い人だし、いいんではないかな。
「私たちは地球という星に生まれた」
というコピーも、まぁ使い古されたような感じではあるけど、うるさくなくていい。
何度も書いているけど、リサイクルだの何だの、そういったことを冷たく見て斜に構えてかっこつけているよりは、やっている人の方が美しい。
前に書いたのは、「ボランティア」について同じようなことを書いたわけだけど。
どうしても、キング〜みたいな人たちってのは、そういうのをくそ食らえって思ってるんだろうけどね、でもそうやって何もしなかったら、本当に何も出来ないんだけど。
と・・・。
うちの町では、ペットボトルおよび食品トレーが通常のゴミ袋とは違う袋で回収をし始めた模様。
しかし、自分は近くのスーパーで回収をしているので、持っていってますけどね。
その方が安上がりだし、それ以上に「持っていく」という部分と「店頭で回収ボックスに入れる」という部分で、『何かやっている』ということを自分で強く感じることが出来る。
とにかく。
自分は出来ることをしているまで。
斜に構えたくもないしね。
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