10万字突破記念企画
2002年9月23日計算しているわけではないですが、ほぼ1500文字くらいを書いて、70日ほど書き溜めているので、そのくらいになったということにしております。
やはり自分はアメリカが嫌い。
(あとで書くが、『褒める』部分もあるので、それは間違わないように。ただの共産主義っぽい人間ではありませんので。)
1:自分たちが『正義』だと確信して疑わない国民性
・・・これは始末におえない。
確かに、『正義』の部分もあるけれども、正義の名のもとに、『誤爆』などで人が亡くなったとしても、それは結果として「いい方向」への犠牲、と言うことで処理されている。
日本で言うと、昔、知覧町から飛び立った「人間爆弾」でも同じようなものだけど、誤りで死んでいる人間がいたら、さすがに心を痛めるのかというと、「えひめ丸」の事件でもそうだったけれども、
「死んだ人は戻ってこない。わざわざお金をかけて引き上げるよりは、賠償額を上積みした方がいいよ」
などと、あの国民はのたまったものである。
つまり、「ドライ」なのだ。
日本でも、『ドライ』は流行ってきてしまっているし、おかげで、その昔の有名なCF、
「私はドライではありません」
がかすんでしまっているのであるが、アメリカの合理性は、日本人にはなかなか受け入れがたい。
「正義」を重んじる国民性の割には、アフリカなどの内戦には全く干渉していないと言っていいほど。
多国籍軍などで参加はしているだろうけども、さすがにちょっとインパクトが弱い。
中東アジアでの石油の利権の問題もあるだろうが、「儲からない」所には『平和』をもたらさない、と言う姿勢には、正直辟易する。
起こす戦争起こす戦争、お金の臭いがある所にしか、もしくは、自分の国民のプロパガンダに有益なところにしか、戦争でお金を落とさない。
日本に基地があるのだって、実際には最初は「日本はまた何をするかわからないので見守るために」置いていたって理由の側面もあるんだからね。
2:人種差別はまだあるよ
・・・日本人の事を、いまだに差別している人も多いし、KKKなどはその急先鋒だけど、いつまでたってもなくならないのは、やはり教育が悪い。
日本も同じ。
日本でも田舎では、
「朝鮮では・・・」
とか
「支那では・・・」
とか「いまどき」発言が多いし。「クロンボ」も使う人が多い。だから、ワールドカップでカメルーンが滞在した中津江村でも、多分
「クロンボが来た」
とか危ない発言をしていたおっさんとかはいたんだろうと思う。
それはさておき、アメリカでは、教育が重要な課題になって、最近では「勉強をもっとさせよう」という風潮になっている。日本では逆で、もっと勉強をさせないようになっているが、人種差別だのって、教育がきちんとなされていない人間がするんだし、もっとさせなさいな、文部科学省。
そうならないと、町にごろつきのいる国になっちゃうよ。あ、もういるのか!。
3:環境どこ吹く風
・・・環境問題どこに行ったの、ってくらい消極的だね。
京都議定書も全く無視。
「自分の国の利益にならないことはしない」
とはっきりと答える大統領も凄い。まぁ、石油業界との癒着があったりもするので、当然の発言ではあるんだけど。
自分は、何度も書いているように、ハイブリットカーを所有している。
アメリカでも、カルフォルニアとかは環境にうるさいみたいだけど、そこではこの車も有意義に走れるんだろうけど、他では「ちっちぇえ車だな」くらいな目なんだろうな・・・。
ヨーロッパでは、完璧なまでの環境にうるさい国になっているけど、そこまでしろとは言わないけど、世界の二酸化炭素の4割も排出している国が、わがままを言っているのは、「アレを買って」と泣いて喚いて結果的に仕方なく買ってもらう「あくどい子供」の仲間ではないのかね。
排出権とかでごまかしてるもんな。
知人に、ドイツやポーランドに人がいるけど、やはり厳しいらしい。
ボールペンは中の芯を交換するらしいし、ごみ棄てのビンとかの仕分けも大変だのこと。
自分は、ちなみにマイバックを持って買い物に行くし、ボールペンも芯を交換する派です。
4:がさつ
・・・1での「えひめ丸」での発言にも関係しているんだけど、かなりがさつ。
人間である相手などを考える余裕や頭なんて持ち合わせていませんよ、みたいな。
繊細さがない人間って、やはり自分には好きにはなれないな・・・。とか思う。
だから、テレビなどでのプロパガンダに流されるんだって。そういう「メディアリタラシー」の勉強をしている割にはね。というか、アメリカ人は授業を聞いていないんではないの?。メディアリタラシーを理解しているのかね・・・。
5:テレビでのプロパガンダ
・・・湾岸戦争のときの
「小さい子供が略奪されて、ひどい仕打ちにされているのを見た」
という女の子の証言を流したのは有名な話。
結果的にそれは嘘だったんだけど。
アメリカで日本のアニメとかを流すときに、良くカットになるらしいけど、それもプロパガンダによるんじゃないの?ってくらいかんぐる。
お色気は仕方ないにしても、暴力表現とかって、アメリカの映画とかだったらもっと直接的な表現をやっているくせに。というか、日本のアニメの中でも、「るろ剣」などは特にそうだったけど、「あやめることの後ろめたさ」とかを描くのもあるわけで、それをばっさり(文字通り切り落として)カットというのは、やはり「冷酷」な(ドライな)テレビゲーム的な戦争に向かわせているんじゃないの?って思うわけです。
だから、アメリカではRPGよりアクション(ストリートファイターとかな)の方が流行るんよね。
こつこつやるのは嫌い。
やるなら一撃でスカッとさわやか(笑)に倒す。
・・・アメリカの国民性だねぇ。
かといって・・・。
いい部分もあるのも事実。
アメリカの本土を唯一爆撃できたのは日本人で、その記念碑がアメリカに残っているわけだけど、その除幕式だったかに、そこに爆撃をした日本人が呼ばれて参列した、ってのは有名な話。
ちょっと粋な計らいが出来る。
堀江謙一さんが、太平洋横断にでて、パスポートを持っていないでアメリカに到着して、「これは逮捕されてしまうかな」と思ったのだが、結果として例外的にパスポートなしで歓迎された、というのも、やはり粋な計らい。
日本だったら絶対にないな、って思うもの。
まぁ、アメリカ人の好きな言葉の一つに「チャレンジ」ってのがあるから・・・それにもよるんでしょうけどね。
とにかく、アメリカのいい所と日本のいい所、ヨーロッパのいい所とかを、良く見ていく必要はあるな・・・っていつも思う。
まだまだ自分は知恵熱を持っている。
やはり自分はアメリカが嫌い。
(あとで書くが、『褒める』部分もあるので、それは間違わないように。ただの共産主義っぽい人間ではありませんので。)
1:自分たちが『正義』だと確信して疑わない国民性
・・・これは始末におえない。
確かに、『正義』の部分もあるけれども、正義の名のもとに、『誤爆』などで人が亡くなったとしても、それは結果として「いい方向」への犠牲、と言うことで処理されている。
日本で言うと、昔、知覧町から飛び立った「人間爆弾」でも同じようなものだけど、誤りで死んでいる人間がいたら、さすがに心を痛めるのかというと、「えひめ丸」の事件でもそうだったけれども、
「死んだ人は戻ってこない。わざわざお金をかけて引き上げるよりは、賠償額を上積みした方がいいよ」
などと、あの国民はのたまったものである。
つまり、「ドライ」なのだ。
日本でも、『ドライ』は流行ってきてしまっているし、おかげで、その昔の有名なCF、
「私はドライではありません」
がかすんでしまっているのであるが、アメリカの合理性は、日本人にはなかなか受け入れがたい。
「正義」を重んじる国民性の割には、アフリカなどの内戦には全く干渉していないと言っていいほど。
多国籍軍などで参加はしているだろうけども、さすがにちょっとインパクトが弱い。
中東アジアでの石油の利権の問題もあるだろうが、「儲からない」所には『平和』をもたらさない、と言う姿勢には、正直辟易する。
起こす戦争起こす戦争、お金の臭いがある所にしか、もしくは、自分の国民のプロパガンダに有益なところにしか、戦争でお金を落とさない。
日本に基地があるのだって、実際には最初は「日本はまた何をするかわからないので見守るために」置いていたって理由の側面もあるんだからね。
2:人種差別はまだあるよ
・・・日本人の事を、いまだに差別している人も多いし、KKKなどはその急先鋒だけど、いつまでたってもなくならないのは、やはり教育が悪い。
日本も同じ。
日本でも田舎では、
「朝鮮では・・・」
とか
「支那では・・・」
とか「いまどき」発言が多いし。「クロンボ」も使う人が多い。だから、ワールドカップでカメルーンが滞在した中津江村でも、多分
「クロンボが来た」
とか危ない発言をしていたおっさんとかはいたんだろうと思う。
それはさておき、アメリカでは、教育が重要な課題になって、最近では「勉強をもっとさせよう」という風潮になっている。日本では逆で、もっと勉強をさせないようになっているが、人種差別だのって、教育がきちんとなされていない人間がするんだし、もっとさせなさいな、文部科学省。
そうならないと、町にごろつきのいる国になっちゃうよ。あ、もういるのか!。
3:環境どこ吹く風
・・・環境問題どこに行ったの、ってくらい消極的だね。
京都議定書も全く無視。
「自分の国の利益にならないことはしない」
とはっきりと答える大統領も凄い。まぁ、石油業界との癒着があったりもするので、当然の発言ではあるんだけど。
自分は、何度も書いているように、ハイブリットカーを所有している。
アメリカでも、カルフォルニアとかは環境にうるさいみたいだけど、そこではこの車も有意義に走れるんだろうけど、他では「ちっちぇえ車だな」くらいな目なんだろうな・・・。
ヨーロッパでは、完璧なまでの環境にうるさい国になっているけど、そこまでしろとは言わないけど、世界の二酸化炭素の4割も排出している国が、わがままを言っているのは、「アレを買って」と泣いて喚いて結果的に仕方なく買ってもらう「あくどい子供」の仲間ではないのかね。
排出権とかでごまかしてるもんな。
知人に、ドイツやポーランドに人がいるけど、やはり厳しいらしい。
ボールペンは中の芯を交換するらしいし、ごみ棄てのビンとかの仕分けも大変だのこと。
自分は、ちなみにマイバックを持って買い物に行くし、ボールペンも芯を交換する派です。
4:がさつ
・・・1での「えひめ丸」での発言にも関係しているんだけど、かなりがさつ。
人間である相手などを考える余裕や頭なんて持ち合わせていませんよ、みたいな。
繊細さがない人間って、やはり自分には好きにはなれないな・・・。とか思う。
だから、テレビなどでのプロパガンダに流されるんだって。そういう「メディアリタラシー」の勉強をしている割にはね。というか、アメリカ人は授業を聞いていないんではないの?。メディアリタラシーを理解しているのかね・・・。
5:テレビでのプロパガンダ
・・・湾岸戦争のときの
「小さい子供が略奪されて、ひどい仕打ちにされているのを見た」
という女の子の証言を流したのは有名な話。
結果的にそれは嘘だったんだけど。
アメリカで日本のアニメとかを流すときに、良くカットになるらしいけど、それもプロパガンダによるんじゃないの?ってくらいかんぐる。
お色気は仕方ないにしても、暴力表現とかって、アメリカの映画とかだったらもっと直接的な表現をやっているくせに。というか、日本のアニメの中でも、「るろ剣」などは特にそうだったけど、「あやめることの後ろめたさ」とかを描くのもあるわけで、それをばっさり(文字通り切り落として)カットというのは、やはり「冷酷」な(ドライな)テレビゲーム的な戦争に向かわせているんじゃないの?って思うわけです。
だから、アメリカではRPGよりアクション(ストリートファイターとかな)の方が流行るんよね。
こつこつやるのは嫌い。
やるなら一撃でスカッとさわやか(笑)に倒す。
・・・アメリカの国民性だねぇ。
かといって・・・。
いい部分もあるのも事実。
アメリカの本土を唯一爆撃できたのは日本人で、その記念碑がアメリカに残っているわけだけど、その除幕式だったかに、そこに爆撃をした日本人が呼ばれて参列した、ってのは有名な話。
ちょっと粋な計らいが出来る。
堀江謙一さんが、太平洋横断にでて、パスポートを持っていないでアメリカに到着して、「これは逮捕されてしまうかな」と思ったのだが、結果として例外的にパスポートなしで歓迎された、というのも、やはり粋な計らい。
日本だったら絶対にないな、って思うもの。
まぁ、アメリカ人の好きな言葉の一つに「チャレンジ」ってのがあるから・・・それにもよるんでしょうけどね。
とにかく、アメリカのいい所と日本のいい所、ヨーロッパのいい所とかを、良く見ていく必要はあるな・・・っていつも思う。
まだまだ自分は知恵熱を持っている。
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