14日忌

2002年9月11日
を迎える。
もう2週間になるのだな、と気持ちを新たにする。

久しぶりに「介護」についてのY掲示板に書いて見たのだけども、やはり自分には。

「恨まれているかも」

という気持ちが支配している。
勿論、自分は自分なりのやり方をやってきたし、それは自分の中で、彼に対する最大限だった。
ただ、彼にとっては、それは最大限ではないだろうし、もっというと、それを感じてくれていたかは疑問だ。
つまり、自分が最大限でやってあげていることでも、彼には「もっと面倒を見て欲しい」と思っていたに違いないのだ。
それだけ彼は、依存するタイプだし、それを鑑みると、やはりその想像は否めない。


大学を卒業して、就職浪人。

その就職浪人中(自分は家にいた)に肺炎をこじらせて入院をした彼を見舞いに行くと、痴呆の症状が。

そのときの気分は、自分はとても不安定だったと記憶している。いっそのこと、病院で彼を窓から突き落とし、自分も死んだ方がいいのかも、と思うにいたっていた時期もある。その時点で、もう姉は家には寄り付かない(家出していた)し、自分がこの人をこれから面倒を見ないと行けないのかという絶望にかられたのだった。

結果的に、無理を言って早めに退院させてもらい、家に帰ると症状は軽くなった。

だから、「これなら大丈夫か」と、自分は就職を決意して、東京の某民放に話をつけているところだった。しかし、それの間を取り持ってくれるはずの友人が、全くの「いい加減」で、本当に取り持っているのかどうか、怪しく感じるようになった。
どうも、間に取り持ってくれているにしても、話がおかしいと思うようになり、色々と問いただすうちに、その人間とは連絡がつかない状態になっていた。
その「人間不信」に、その頃は前に付き合っていた人と別れた(別に男ができた=詳しくは前に書いている)頃というのもあり、もう何もする気が起きなくなってしまっていた。

しかし、そうもしていられない、ということで、小さい仕事をもらいつつ、自分の夢を追いかけていたのだが。

だんだんに足腰が弱くなって行く彼。2年前。
そして彼の免許の更新の時に彼が自動車の更新ができない「視力」だったので、それの原因を見るために眼科にかかってみると、「白内障」であることが分かる。
それの手術をすると、・・・と以前の肺病の入院の辛さを思い出し、結局手術をさせるのが怖くなり、断念。
結果、自動車を運転させるのをやめさせ、それが彼の「足腰」が弱くなる原因に。色々と歩き回ることもしなくなったので、ある程度痴呆が進行する結果に。

去年になると、自分が「非嫡出子」つまり「養子」だとか言うようになり、結果が絶えなくなる。
自分も疲れを感じるようになり、彼に怨念を感じるようになる。

そして、今年になり、デイサービスなどを使うようにして、自分でよその人との交流をすることで、痴呆がなんとかならないものかと期待する。
しかし、よくなるときと悪くなるときが交互。
だんだんに悪くなって行く。
そして、6月後半の「ショートステイ」。
帰宅してから、うちでの見当識障害が出てくる。
今までに全くないその異常さに、更に自分の疲れが出てくる、そして怒ることも増えてくる。

7月。家の中に失禁したり色々とひどい痴呆が進む。しかし、「介護度」などで全くうちに不利な判定が出るなど、自分は益々追いこまれる。
19日、入院させる。ほっとした日々が過ぎる。
自分のやりたいことを見つかるようになる。

8月。心療内科に行く。
うちの町の議員補欠選挙に急遽立候補することになる。
それの中で、「あの人はプラプラしている」などのうちのことを考えない、もっというと「早く結婚してそういうのは奥さんにやってもらって仕事をするべき」な発言が聞かれ、また苦しくなり出す。
選挙が終わり、付き合ってる人が来て、ちょっと心が軽くなる。
その帰ってしまったあと、ちょっと悲しさ・寂しさにへこむ。
しかし、それを立ち直ろうとしたとき。
父親の死。

・・・・・・。
というのが、おおまかなこの4年の流れである。
最初の3年は、比較的に「自分を滅して」尽くしてきてあげたと思う。
しかし、この1年程度は、けんかも絶えなかったし、そうした「寂しさ」が『痴呆』に彼を導いて行ったのだろうと思う。
それなのに、自分は邪魔な人のように扱っていたし、それを「恨まれるのではないか」と思うようになっているのだった。
まぁ、恨むことがあったら、母親が黙ってはいないでしょうけど・・・。
彼女自身も彼に苦労をかけられたし、自分が苦労をしているのも(本当にあの世があるのであれば)見ているのだとしたら分かっているだろうし、こっちにそういう矛先を向けて自分が更に苦労することを彼女は「許せない」と思うだろうからだが。

自分は、これからやっと自分の前を向こうとできる。
でも、自分はいわば「去勢された」人間だと何度も書いているが、そういう人間が、果たして今から(28歳という部面で)というハンデがあってもやっていけるのだろうか・・・という危惧を感じる。
一応、ちょっとづつも自分のやりたいことをもう一度始めようとしている。
勿論・・・。
こうなることは予想していたし、それを覚悟していた。
でも、やはりいざなってみると、「不安」でいっぱいである。本当に自分の夢はどうなってしまうのか、と。

無論。
ここで足踏みをいつまでもするつもりは毛頭ない。
でも・・・。
やはり自分は、去勢されていると、心から感じているのであった・・・。

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