全部出品していると、かなり時間がかかりますね・・・。
壊れたテレビとかはさすがに売れる訳もないので、それは自分のしまっておくしかないんだけど・・・邪魔になってしまいます・・・(T^T)。
家を片付けていかないとね。

さてさて。
最近、思うんですが・・・。
人で、人として生きている自分たちがいる一方、それをどこかで『斜に構えて』見ている人も多い。
前にも書いた「ボランティア」の話もそれにかかわってくるわけですが、どうしてこういう人たちが出てくるんでしょう・・・。
「.hack//sign」の今週分を見てて、ミミルにつっかかる「あらし」な人(キャラの名前知らない)の会話を聞いて、更に思ったものです。

ミミル「そうやってクール気取っていれば。友達いないでしょう?」
あらし「何もわかっちゃいないねぇ」(だったか)

あらしとかの人間が、どう考えようとかまわないんだけど、クールというのが「イコールいいこと」ではない、というのは、普通に人間としてうまれて生きてくると、分かると思うんですが。
ただ、こういった人間は、女性にはほぼいない、というのも注目できることで、やはり何かここに研究対象があるな、と自分はやはりジェンダリズムなので思います。
とにかく、人間として自分は人の生死を見てきたし、人からの冷たい目も受けてきた。
だからこそ、自分は人としての生き方をこだわるのだけれど、それを「冷たく」観察している人がいるのも事実。
それを、どう自分は対応して行くのか・・・。

学校で、生徒会や学級委員などに立候補する人が減っているようで、クールに人と関わらない生き方を模索する人が多い模様。
自分の頃でもそうだったくらいだし、今では更に一人っ子が多いだろうし、自分の部屋は用意されているように、「人と関わらなくても」生きていけそうな現在ではある。
それが「クール」を人間に受けつけているのかどうかは定かではないし、これから調査する部分に頼らざるを得ないんですが、少なくとも、何かの関連性を感じるのは自分だけか。
「ドライ」ブームというのもそれに付随して考えて行かないといけないだろうが、やはり、自分にはこれはライフワークになりそうだ、と思った。
ちなみに。
藤原桂介という作家がいるが、その方の「君が輝いて見える時」というエッセイ集にも、同じような批判がこめられているので、参照されたい。

とにかく、自分は、付き合ってる人と、人として付き合って行くし、それを冷たい目で見る人がいるのであれば、それはそれで自分は放っておく。
そう言う人は、もうどうしようもないのだろうと思う。

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