1日が経って

2002年8月28日
まだ、朝に起きて下におりたら、いるんじゃないか、とか思ってみたり。
それでも、当然いないので、がっくりとしたり。
・・・まだちょっと立ち直れません。

しかし、病院はそうも言ってもいられないので、とりあえず洗濯物を持っていく。
向こうにある洗濯するものを持ちかえる。
ついでに、その横に併設されている「老健」に申し込みをしてくる。
3ヶ月後にはなんとかなるそうな。
となると、3ヶ月後にここに入れたら、自分は付き合ってる人の家に行ってくることができる・・・。
・・・と、思いきや。
「洗濯物は家庭でやっていただきます」
とのこと・・・ここでは無理があるな・・・。
しかし、申し込みだけはきちんとしておかないと、そのときになって困るのもいやなので、やっておく。どうなるかは分からないけど。

ともかく・・・。
自分が付き合ってる人の家に行けるのは、そういう施設に入ってもらい、手がかからなくならないと難しい。
だからこそ、早めに入ってもらい、早めに向こうに挨拶をしに行きたい。
ちょっとは泊まって(迷惑を顧みず)、とにかく色々と話したい。色々と動きたい。
だからこそ、自分は今、こうして動きだした。
・・・今、近くにいないのが寂しい。
でもそれを解決できるのは、それしかないので。

で。閑話休題。
老健の玄関を出たら、病院で死んだ人がいるのか、看護婦と医者がお辞儀をして車を見送っていた。
ちょっとこれにへこんでしまった。
ともかく、そうは言っても売店で買った「尿取りパッド」を病室においてこないといけない。
それを置きに行って、しばらく彼の顔を見て、自分は家路についた。
家には、あいもかわらず、誰もいない。
かの人は、やはり、いない。
その「寂しさ」に、思わず何もする気が起きなくなる。・・・自分は、やはり今、孤独と戦っているのだった。

田舎の、周りに何もない家の中で、今日も一人モンモンと暮らしている。
「はりあい」のない暮らしは、自分をどこまでも苦しめるし、年を取らせるようで、好きではない。
勿論、いつも刺激のある生活では疲れてしまうだろうが、それにしてもやはり、自分の孤独さには、手の打ちようがなく、つまりは何もできない状態に陥ってしまう。
世間の普通の28歳は、今どうしているのだろうか。
こう言うとき、どう考えて、どう行動するのか。
・・・自分は、「変わり者」として過ごしてしまっているし、それが予想がつかない。だから、回りとは違う自分は、周りから何か見えないもので押しつぶされているような、そういう窮屈感も感じる。
今日も自分は、見えない濁流に翻弄されている。

コメント

最新のコメント

日記内を検索