休みを取る・・・ってことで
2002年7月30日今日は動かない日にしています。
とかいいつつ、お洗濯は2回しているし、家庭教師に昨日行かなかった分、行こうとしているし・・・。
(結局今日は相手の都合で行かないんですけど。)
どこまで忙しくさせるの・・・汗。
今日がもう月の30日だってことを忘れそうな勢いで、毎日が過ぎて行くし、曜日なんかもあんまり意識できない日々だったりする。
自分って、一体・・・。
病院に行くべきかどうか、を現在悩んでいる状況です。
彼は、ICUなので、
10:00〜10:30
15:00〜15:30
19:00〜19:30
の間の5分間のみしか面会は許されていない。現在は18時。行くなら最後の19時の面会時間のみ。
一人で行くには、荷が重い。
気がめいりそうで、行きたくない。
・・・どうしよう、と悩みながら、時間が過ぎて行く・・・。
だいたいそもそも彼は、自分勝手過ぎる一生涯を送りつつある。
買い物でも自分の好きなものしか買ってこず、母親に苦言を言われて逆切れしたり。
自分は好きに動いて、野暮用を済まして行くくせに、母親の野暮用には口を出す。
子供の誕生日に何もしないばかりか、それ自体を覚えていないし、そのくせに自分の誕生日には何かしてもらえると思っている。
(父の日と子供の日の関係でも同じく。)
とにかく、やりたいように生きてきているのに、更にそれを死ぬまで通す気だ。勿論、昔の人間で、末っ子、というそういう物理的側面もあるだろうけども、さすがに他人を心から思いやる、という気持ちには、彼は欠けているようだ。
たとえば人が来て、お茶を出す、とかはするのは、やはり彼といえどもするのだが、人の話を聞いちゃいない、ということはおうおうにして昔からあり、それが彼の「友達のいなさ」につながってしまうのであるが、全く持って彼には心でのつながりができないという大きい悪癖がある。
それが、こうして私だけに迷惑をかけるという結果となって、存在してしまう。
だからこそ、私は彼から逃げたいのであるが、そうできなくなってしまっている状況に、ほとほと苦しむにいたる。
彼のわがままは、私の苦しみになる。それは、彼の『安心』や『安堵感』になるのであろうが、いい加減、そういう負の連鎖から解放して欲しい。
彼が、どこまでそれを理解し、それを申し訳ないと思っているのかはわからないが、正直愛想がつきかけているというのは事実。だから、今日の夜の面会時間には行かないと思う。
彼は「寂しさ」を感じるかもしれない。
彼の苦しみは、私の「喜び」になるわけでは決してないが、そうでもしないと、もう2人の関係は、修復できないほど、ぼろぼろになってしまっているのだ。
update 30th 20:00
よく出没するYahoo!の介護についての掲示板で、
『「見捨てる」とはどういうことか』
ということで、最近話題になっている。詳しくは、昔の日記にアドレスなどがあるので、それを参照されたい。
介護する側、からでは、多分。
「見捨てるとは、考えなくなったとき。家族の一員と思わずに無視して過ごす。」
というのが大半かと思う。自分もそう。
しかし、介護される本人としたら。
「家族に入れず、施設に入れられたとき。」
と考える人もいるんではないかな、という危惧が自分には付きまとっている。
無論、施設は家庭的で暖かい雰囲気だし、介護している人たちは、本当によく接して、優しくしてくれている。
でも、そうは言っても家族ではない。
ということを考え、そこに立ち戻ると、本人としては、やはり「捨てられたんだな」と思うかもしれない、と、自分は考えてしまう。
そこに介護する側、される側の乖離があり、それは仕方のないことではあるが、そう考えてしまうと、自分はまた尻ごみしたくなってしまう。
自分は、やはり人の心が入ってきてしまう・・・と思う。余計なことを考えて、心苦しむのだ。
これが、一番の自分の辛さの原因なんだな、と改めて思う。
CLAMP(「カードキャプターさくら」「魔法騎士レイアース」「ちょびっツ」などの作者)の作品に「東京BABYLON」というのがあって、その中の老人の話には、いまだに泣けてしまう。何度読んでも泣けてしまう。
介護や興味がある人は、ぜひとも全巻揃えて何巻だったかに入ってるその話を読んで欲しい。
ここでは、「家族として見捨てた」老人が出てくる。
その老人は、何かにつけ家族(とくに面倒を見させられる奥さん=ただし実の子供)に邪魔にされる。
そうした中、老人はその奥さんの小さい頃の「バナナが好き」ということを急に思い返し、足をふらつきながらも買いに行く。
(その行くときに、「いつもふらふらして。早く帰ってきてくださいね!。」というような厳しい言い方をされるのだ。)
そして、そのふらつきが原因で、ダンプカーにはねられてしまうのだが、それを見ていた主人公(それ以前に公園で出会っている=話はそれとなく聞いている)が、その事故現場からバナナを持って行き、奥さんに届ける。
「全く、あれだけ夕食までには帰ってきてくださいねと言ったのに!」
と扉を開けて、前に立っているのはおじいさんではなく、主人公だった。
(ここで、玄関の扉をばっちりと閉じられていて、チャイムをしないと開けてもらえない、というのも何かを意味するところである。)
血まみれのバナナを手に主人公が言う。
「奥さんが好きだったというバナナを足が不自由で買いに行き、さきほどダンプカーにはねられました。」
(などというようなこと)と。
奥さんは泣き崩れ、その後奥さんは孫と一緒に墓参りをする・・・。
というような話なのだが、これは的を得ていると思う。全体の意味での介護、介護される側、する側のある姿、というものを顕現させている。
それを、これで思い出した。
(ちなみに、「東京BABYLON」では、目の不自由な人の話もあり、こちらでは盲導犬をして「賃してくれ」と、遊ぼうとする人が出てきて、主人公が「じゃ、あなたは賃せと言われて自分の目を貸しますか?。彼にとっては盲導犬は目そのものなのです。」などと話すお話もあり、実に興味深い話が多い。興味があればぜひどうぞ。なお、一般の本屋さん以外でも、最近多い中古本屋さんにも多く取り揃えられているので、そういう入手方法もあります。CLAMPさん方には申し訳ないけど・・・。)
とにかく、「見捨てられた」と思われるのはつらい。
自分が見捨てられるのはつらいことを、自分自身でよく分かるからだ。友達もいなく、小学校を過ごした6年間、人に見捨てられることを知っているからだ。
それは他人だ。身内だったらもっとつらいだろうと、ついつい想像してしまうのだ。
だから、「見捨てられた」と思われると、自分はつらいと思う。
社会的には「甘い」存在である自分は、どうしてもそこから抜け出せずにいる。
自分は、やはりどこまで行っても、自分でしかないということか。
update 30th 23:15
何度もHPに来訪し、こちらを確認している方々、有難うございます。
また、多分ニューヨークで見ているのは、大学で同じゼミだった人だと思いますが、そういう状況なので、ゼミの会合だのには、参加できなかった次第。
カズオ(笑)には悪いけど、学校は勉強する場と相応の何人かの友人の獲得ということしか自分には興味がなかったし、それ以上に家のこともあったので、どうしようもなかったですね。
一般の家庭に生まれたら、自分も神経質ではない人間だったのでしょうが、でもそうだったら、自分はあの大学には入ってなかったと思いますね・・・。
とかいいつつ、お洗濯は2回しているし、家庭教師に昨日行かなかった分、行こうとしているし・・・。
(結局今日は相手の都合で行かないんですけど。)
どこまで忙しくさせるの・・・汗。
今日がもう月の30日だってことを忘れそうな勢いで、毎日が過ぎて行くし、曜日なんかもあんまり意識できない日々だったりする。
自分って、一体・・・。
病院に行くべきかどうか、を現在悩んでいる状況です。
彼は、ICUなので、
10:00〜10:30
15:00〜15:30
19:00〜19:30
の間の5分間のみしか面会は許されていない。現在は18時。行くなら最後の19時の面会時間のみ。
一人で行くには、荷が重い。
気がめいりそうで、行きたくない。
・・・どうしよう、と悩みながら、時間が過ぎて行く・・・。
だいたいそもそも彼は、自分勝手過ぎる一生涯を送りつつある。
買い物でも自分の好きなものしか買ってこず、母親に苦言を言われて逆切れしたり。
自分は好きに動いて、野暮用を済まして行くくせに、母親の野暮用には口を出す。
子供の誕生日に何もしないばかりか、それ自体を覚えていないし、そのくせに自分の誕生日には何かしてもらえると思っている。
(父の日と子供の日の関係でも同じく。)
とにかく、やりたいように生きてきているのに、更にそれを死ぬまで通す気だ。勿論、昔の人間で、末っ子、というそういう物理的側面もあるだろうけども、さすがに他人を心から思いやる、という気持ちには、彼は欠けているようだ。
たとえば人が来て、お茶を出す、とかはするのは、やはり彼といえどもするのだが、人の話を聞いちゃいない、ということはおうおうにして昔からあり、それが彼の「友達のいなさ」につながってしまうのであるが、全く持って彼には心でのつながりができないという大きい悪癖がある。
それが、こうして私だけに迷惑をかけるという結果となって、存在してしまう。
だからこそ、私は彼から逃げたいのであるが、そうできなくなってしまっている状況に、ほとほと苦しむにいたる。
彼のわがままは、私の苦しみになる。それは、彼の『安心』や『安堵感』になるのであろうが、いい加減、そういう負の連鎖から解放して欲しい。
彼が、どこまでそれを理解し、それを申し訳ないと思っているのかはわからないが、正直愛想がつきかけているというのは事実。だから、今日の夜の面会時間には行かないと思う。
彼は「寂しさ」を感じるかもしれない。
彼の苦しみは、私の「喜び」になるわけでは決してないが、そうでもしないと、もう2人の関係は、修復できないほど、ぼろぼろになってしまっているのだ。
update 30th 20:00
よく出没するYahoo!の介護についての掲示板で、
『「見捨てる」とはどういうことか』
ということで、最近話題になっている。詳しくは、昔の日記にアドレスなどがあるので、それを参照されたい。
介護する側、からでは、多分。
「見捨てるとは、考えなくなったとき。家族の一員と思わずに無視して過ごす。」
というのが大半かと思う。自分もそう。
しかし、介護される本人としたら。
「家族に入れず、施設に入れられたとき。」
と考える人もいるんではないかな、という危惧が自分には付きまとっている。
無論、施設は家庭的で暖かい雰囲気だし、介護している人たちは、本当によく接して、優しくしてくれている。
でも、そうは言っても家族ではない。
ということを考え、そこに立ち戻ると、本人としては、やはり「捨てられたんだな」と思うかもしれない、と、自分は考えてしまう。
そこに介護する側、される側の乖離があり、それは仕方のないことではあるが、そう考えてしまうと、自分はまた尻ごみしたくなってしまう。
自分は、やはり人の心が入ってきてしまう・・・と思う。余計なことを考えて、心苦しむのだ。
これが、一番の自分の辛さの原因なんだな、と改めて思う。
CLAMP(「カードキャプターさくら」「魔法騎士レイアース」「ちょびっツ」などの作者)の作品に「東京BABYLON」というのがあって、その中の老人の話には、いまだに泣けてしまう。何度読んでも泣けてしまう。
介護や興味がある人は、ぜひとも全巻揃えて何巻だったかに入ってるその話を読んで欲しい。
ここでは、「家族として見捨てた」老人が出てくる。
その老人は、何かにつけ家族(とくに面倒を見させられる奥さん=ただし実の子供)に邪魔にされる。
そうした中、老人はその奥さんの小さい頃の「バナナが好き」ということを急に思い返し、足をふらつきながらも買いに行く。
(その行くときに、「いつもふらふらして。早く帰ってきてくださいね!。」というような厳しい言い方をされるのだ。)
そして、そのふらつきが原因で、ダンプカーにはねられてしまうのだが、それを見ていた主人公(それ以前に公園で出会っている=話はそれとなく聞いている)が、その事故現場からバナナを持って行き、奥さんに届ける。
「全く、あれだけ夕食までには帰ってきてくださいねと言ったのに!」
と扉を開けて、前に立っているのはおじいさんではなく、主人公だった。
(ここで、玄関の扉をばっちりと閉じられていて、チャイムをしないと開けてもらえない、というのも何かを意味するところである。)
血まみれのバナナを手に主人公が言う。
「奥さんが好きだったというバナナを足が不自由で買いに行き、さきほどダンプカーにはねられました。」
(などというようなこと)と。
奥さんは泣き崩れ、その後奥さんは孫と一緒に墓参りをする・・・。
というような話なのだが、これは的を得ていると思う。全体の意味での介護、介護される側、する側のある姿、というものを顕現させている。
それを、これで思い出した。
(ちなみに、「東京BABYLON」では、目の不自由な人の話もあり、こちらでは盲導犬をして「賃してくれ」と、遊ぼうとする人が出てきて、主人公が「じゃ、あなたは賃せと言われて自分の目を貸しますか?。彼にとっては盲導犬は目そのものなのです。」などと話すお話もあり、実に興味深い話が多い。興味があればぜひどうぞ。なお、一般の本屋さん以外でも、最近多い中古本屋さんにも多く取り揃えられているので、そういう入手方法もあります。CLAMPさん方には申し訳ないけど・・・。)
とにかく、「見捨てられた」と思われるのはつらい。
自分が見捨てられるのはつらいことを、自分自身でよく分かるからだ。友達もいなく、小学校を過ごした6年間、人に見捨てられることを知っているからだ。
それは他人だ。身内だったらもっとつらいだろうと、ついつい想像してしまうのだ。
だから、「見捨てられた」と思われると、自分はつらいと思う。
社会的には「甘い」存在である自分は、どうしてもそこから抜け出せずにいる。
自分は、やはりどこまで行っても、自分でしかないということか。
update 30th 23:15
何度もHPに来訪し、こちらを確認している方々、有難うございます。
また、多分ニューヨークで見ているのは、大学で同じゼミだった人だと思いますが、そういう状況なので、ゼミの会合だのには、参加できなかった次第。
カズオ(笑)には悪いけど、学校は勉強する場と相応の何人かの友人の獲得ということしか自分には興味がなかったし、それ以上に家のこともあったので、どうしようもなかったですね。
一般の家庭に生まれたら、自分も神経質ではない人間だったのでしょうが、でもそうだったら、自分はあの大学には入ってなかったと思いますね・・・。
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