父・緊急入院
2002年7月29日事件です。
・・・と、ボケをかませないほど、自分は疲弊しています。
今日は、10時ごろから、介護保険の不服申立てに水戸に行っていた。
その申し立てに関することを一通り聞いて、色々なお店とかに回ろうとしていたときに、携帯に電話がかかってきた。
「今日になり、状況が変わり、吐くなどの症状があり、脳梗塞を疑いますので、近くの緊急病院に搬送してもよろしいでしょうか?」
とのこと。
「はい」
としか言えないので、その病院にその足で向かう。
病院に到着したとき、ちょうど彼も救急車で搬送されていた。
先生いわく。
「瞳孔が開いているなどの状況で、全身麻痺が見られます。頭のCTスキャンを撮らないとなんとも言えませんが、状況は厳しいかもしれません。」
CTスキャンを試みる。
先生いわく。
「頭の硬膜の下に血腫が見られます。この写真上では長い間あったものではないでしょう。現在のうちに手術を試みれば、元のように生活が送れるかもしれません。しかし、このままですと、圧迫されて前身不随または死にいたるかもしれません。」
状況を理解する。
更に先生は言う。
「それで、今手術をすれば助かる可能性があります。手術、しますか?」
正直、自分はここで悩んでしまった。ほんの5秒くらいのことだろうが、自分にとっては何分も悩んだような気がした。
「はい。」
とは口をついた言葉だが、実際には
「やらないで、このままで、彼を看取りたいです。」
と言いたかったのである・・・。
手術は、4時間以上かかった。
予定の3時間を大きく越えて、自分は家庭教師を休まざるを得なかった。
「手術は成功しました。ただ高齢ですから、これからの推移は見守る必要があります。運ばれてきたときは、瀕死の状態でして、開いていた瞳孔もだいぶ元に戻っている状態です。」
との先生の話。
ほっとしたような、しかし彼に「更に迷惑をかけられた」との思いに、頭が混乱する。
手術中・・・。
自分は、彼を忘れていた。いな、忘れていたのではなくて、それを考えられないほど、入院のための用意だの、元の病院での入院費用の支払いだのにかけまわっていたからだ。
何故か、「小遣い費用11900円」も取られたり、難儀なことが続くなぁ、とばたばたしていただけだ。
(余談だが、18日から12日間しか入院していないのに、どうして小遣いでそんなに彼は使うのか・・・。それもあとで確認しなければ、と思う。正直、これも頭が痛い話だ。)
そして、手術中の待合室で、付き合っている人に報告メールを書いていた。本当は病院の中なので、こう言うことはしてはいけないのだが、そうもしないと、不安でたまらなかったのだった。
なぜなら、この病院。
私の母親が、倒れて最初に担ぎこまれた病院だからだ。しかも、同じく脳内出血で。彼女は、ここでは手には負えないとのことで、他に回され、意識を回復しないまま、この世を去るのであるが、そういうことが自分の頭を掠めるのだった。
いな、彼が死んだとて、それならそれで自分のやりたい仕事を、これから悠々と見つけられる。
・・・という気持ちと。
彼が死んだら、自分は本当に一人になるんだな、という孤独感。
そして、
彼が生き延びたら・・・病院にいる限りは、洗濯をしなくてはならない。8/31と9/1に予定されているBSの民放の入社試験には行けるのか。
もしくは。
生き延びたとしても、全身麻痺などが続けば、介護度は黙っていても上がる。それなら自分の夢のために、仕事も見つけられるのか・・・。
・・・という、4つの思いに、頭の中はぐるぐると問答を繰り返していたのだ。
果たして・・・。
自分は夢をつかめるのか。本当に不安になっている。それが一番の心配。もしくは、本当に孤独になってしまうのか、という心配。
彼の心配はそのあとだ。
正直、彼には、ここまで迷惑をかけられるとは、思ってもみなかった。
自分は、彼に7/18に入院をしてもらって、自分の夢のために歩き始めたはずだ。しかし、それは、もろくもまた崩れ去ってしまった。
これは、一体なんなのか。
(一部の宗教団体だと、なんだか変な話をされそうですが、自分はそう言うのはまず信じないので、されても困りますけど。)
一体、自分というのは、運命のなんなのか。
運命を、自分で変えていけないのか。
自分の置かれている運命に、自分はまた歩みを止め、後ろを振り返る。前に歩く力を失ってしまった。前に開かれていた明るかったはずの未来は、今の真っ暗な漆黒の闇に比べてあんまりにも明るいので、自分は前を向けない。目がつぶれるような感触。
そして、ここで足踏みを始める。
前にレールがあっても。
自分は、運命にまた翻弄され始めたのであった。
自分は、翼を完全にもがれてしまったのだ。自分に残された道は、完全に漆黒で、何も見えなく、よぼよぼと歩いて行くことしかできない。
ときにつんのめり、ときに「くい」に当たり、真っ暗な道を進んで行く。
・・・・・・真っ暗になってから帰る途中、田舎の細い道を行き自分の家に戻るとき、そういうことを考えていた。
もうすぐ22時。
自分は、自分のために料理をし、ご飯を食べる。こんな心苦しく、またいやな食事もかつてない。
できることなら、ここから逃げ出したい。
update 29th 2300
ご飯を食べる。自分で作るだけなので、結構ものが余っちゃうな・・・。
ちょっとはセーブして買わないと・・・。
疲れました。
料理をするのもそうなんですが、それより食べることそのものが疲れました。
お風呂より寝たいかも。
ご飯よりも寝たいかも。
・・・そういう状況なんだけどね。ほんとは。
自分が頑張りすぎているのもわかるんだけど、どうしようもないって、本当につらい。
どうしたら楽になるのか、楽になったとて、自分のやりたいことができるような夢のゴールはあるのかとか、本当にご飯がのどを通りにくい。
・・・とかいいつつ、さすがはフードバトラー、どんぶりに2杯と行ってますが。
でも、本当につかれた・・・。
・・・と、ボケをかませないほど、自分は疲弊しています。
今日は、10時ごろから、介護保険の不服申立てに水戸に行っていた。
その申し立てに関することを一通り聞いて、色々なお店とかに回ろうとしていたときに、携帯に電話がかかってきた。
「今日になり、状況が変わり、吐くなどの症状があり、脳梗塞を疑いますので、近くの緊急病院に搬送してもよろしいでしょうか?」
とのこと。
「はい」
としか言えないので、その病院にその足で向かう。
病院に到着したとき、ちょうど彼も救急車で搬送されていた。
先生いわく。
「瞳孔が開いているなどの状況で、全身麻痺が見られます。頭のCTスキャンを撮らないとなんとも言えませんが、状況は厳しいかもしれません。」
CTスキャンを試みる。
先生いわく。
「頭の硬膜の下に血腫が見られます。この写真上では長い間あったものではないでしょう。現在のうちに手術を試みれば、元のように生活が送れるかもしれません。しかし、このままですと、圧迫されて前身不随または死にいたるかもしれません。」
状況を理解する。
更に先生は言う。
「それで、今手術をすれば助かる可能性があります。手術、しますか?」
正直、自分はここで悩んでしまった。ほんの5秒くらいのことだろうが、自分にとっては何分も悩んだような気がした。
「はい。」
とは口をついた言葉だが、実際には
「やらないで、このままで、彼を看取りたいです。」
と言いたかったのである・・・。
手術は、4時間以上かかった。
予定の3時間を大きく越えて、自分は家庭教師を休まざるを得なかった。
「手術は成功しました。ただ高齢ですから、これからの推移は見守る必要があります。運ばれてきたときは、瀕死の状態でして、開いていた瞳孔もだいぶ元に戻っている状態です。」
との先生の話。
ほっとしたような、しかし彼に「更に迷惑をかけられた」との思いに、頭が混乱する。
手術中・・・。
自分は、彼を忘れていた。いな、忘れていたのではなくて、それを考えられないほど、入院のための用意だの、元の病院での入院費用の支払いだのにかけまわっていたからだ。
何故か、「小遣い費用11900円」も取られたり、難儀なことが続くなぁ、とばたばたしていただけだ。
(余談だが、18日から12日間しか入院していないのに、どうして小遣いでそんなに彼は使うのか・・・。それもあとで確認しなければ、と思う。正直、これも頭が痛い話だ。)
そして、手術中の待合室で、付き合っている人に報告メールを書いていた。本当は病院の中なので、こう言うことはしてはいけないのだが、そうもしないと、不安でたまらなかったのだった。
なぜなら、この病院。
私の母親が、倒れて最初に担ぎこまれた病院だからだ。しかも、同じく脳内出血で。彼女は、ここでは手には負えないとのことで、他に回され、意識を回復しないまま、この世を去るのであるが、そういうことが自分の頭を掠めるのだった。
いな、彼が死んだとて、それならそれで自分のやりたい仕事を、これから悠々と見つけられる。
・・・という気持ちと。
彼が死んだら、自分は本当に一人になるんだな、という孤独感。
そして、
彼が生き延びたら・・・病院にいる限りは、洗濯をしなくてはならない。8/31と9/1に予定されているBSの民放の入社試験には行けるのか。
もしくは。
生き延びたとしても、全身麻痺などが続けば、介護度は黙っていても上がる。それなら自分の夢のために、仕事も見つけられるのか・・・。
・・・という、4つの思いに、頭の中はぐるぐると問答を繰り返していたのだ。
果たして・・・。
自分は夢をつかめるのか。本当に不安になっている。それが一番の心配。もしくは、本当に孤独になってしまうのか、という心配。
彼の心配はそのあとだ。
正直、彼には、ここまで迷惑をかけられるとは、思ってもみなかった。
自分は、彼に7/18に入院をしてもらって、自分の夢のために歩き始めたはずだ。しかし、それは、もろくもまた崩れ去ってしまった。
これは、一体なんなのか。
(一部の宗教団体だと、なんだか変な話をされそうですが、自分はそう言うのはまず信じないので、されても困りますけど。)
一体、自分というのは、運命のなんなのか。
運命を、自分で変えていけないのか。
自分の置かれている運命に、自分はまた歩みを止め、後ろを振り返る。前に歩く力を失ってしまった。前に開かれていた明るかったはずの未来は、今の真っ暗な漆黒の闇に比べてあんまりにも明るいので、自分は前を向けない。目がつぶれるような感触。
そして、ここで足踏みを始める。
前にレールがあっても。
自分は、運命にまた翻弄され始めたのであった。
自分は、翼を完全にもがれてしまったのだ。自分に残された道は、完全に漆黒で、何も見えなく、よぼよぼと歩いて行くことしかできない。
ときにつんのめり、ときに「くい」に当たり、真っ暗な道を進んで行く。
・・・・・・真っ暗になってから帰る途中、田舎の細い道を行き自分の家に戻るとき、そういうことを考えていた。
もうすぐ22時。
自分は、自分のために料理をし、ご飯を食べる。こんな心苦しく、またいやな食事もかつてない。
できることなら、ここから逃げ出したい。
update 29th 2300
ご飯を食べる。自分で作るだけなので、結構ものが余っちゃうな・・・。
ちょっとはセーブして買わないと・・・。
疲れました。
料理をするのもそうなんですが、それより食べることそのものが疲れました。
お風呂より寝たいかも。
ご飯よりも寝たいかも。
・・・そういう状況なんだけどね。ほんとは。
自分が頑張りすぎているのもわかるんだけど、どうしようもないって、本当につらい。
どうしたら楽になるのか、楽になったとて、自分のやりたいことができるような夢のゴールはあるのかとか、本当にご飯がのどを通りにくい。
・・・とかいいつつ、さすがはフードバトラー、どんぶりに2杯と行ってますが。
でも、本当につかれた・・・。
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