「お気に入り」がなくなっちゃった・・・(^-^;
2002年7月16日ここまで苦しい日記は誰も見たくないわな・・・。
結構台風って平気だ。仕事らしい仕事があるわけでもない、というのもあり、また昔からこれがイベントのような感じがして、心がどこかでわくわくした感じがある。
小学校などでの「いじめ」もあり、休めるかも、という期待もあったと思う。
自分のうちの父親は、めったに休ませてくれないので、6年で1回、41℃の熱が出た時のみで、こうした『臨時休校』を期待するのも当たり前だろう。
なお、前日(2002/07/15)の日記は、文字数が3000文字を超えたため、2001/07/15の日記分に書いてありますので、興味があれば、お読み下さい。
また、今日(2002/07/16)も文字数が3000文字を超えました。続きを去年分に書きます。
決戦が明日になり、自分はあいも変わらずぐったりとした気持ちで、「あずまんが大王」を見ているのだった。
update 16th 3:00AM
なかなか寝つけない・・・。
昨日は編集会議で出かけていたのだが、どうしても眠かった・・・。
そりゃそうよね。
ちなみに、うちには姉がいます。この人間も「いい加減」な父親を踏襲していて、男を追っかけて8年くらい前から家出をしてうろうろしているようだ。
ヤ○○のような男と付き合ったりしてて、どうしようもない人だ。
「面倒は長男が見るものだ」
とかいまどきプリミティブな話をして出て行った訳だが、そういうことを言うくせに、
「私は女だからってよくしてくれない」
などとうちに文句を言っている。どっちなんだ、といいたいが、その他にも、母親が10年前に亡くなったときに「私がなんとかしないと」とか言い、勝手に「保母専門学校」をやめている。なんと勝手な。そう誰も頼んだ訳ではない。それで、現在仕事についていないので、お金がないらしく、お金をいろいろと頼ってくる。
父親違いの兄にも頼ったようだ。
携帯電話や電気代金の請求も来ている。
去年の9月は東京に住んでいたところを、追い出されたようで、家に荷物を持ってきたと思ったら、10分もしないうちに
「彼氏んちに行ってくるから」
と玄関を出て行きながら言っていたので、別の部屋から、
「好き勝手やりやがって!」
と怒ったら、その後帰ってきていない。
だいたい、この人間、私は大嫌いだ。
母親がなくなったときの病院での話。
自分は、信じられなくて涙も出なかった。死に目にも会えず、大学受験を控え、医者から「大丈夫だろう」ということだったので、見舞いにも行けなかったのだが、それ故信じがたく、唖然としていた。
そのときのあの人の言葉。
「なんで泣かないの!」
と怒っていた。彼女が泣いていたのはいいが、本当に心から悲しんでいるとき、人は泣けないものだ。というか、悲しさよりも驚きが先に来る。そしてあとあとそのなくなった悲しみが沸いてくるものだ。
仕方ないので、そこで泣いた。
「泣かされた」ようで、正直、いい気持ちがしていないし、その「世間体」を気にした彼女の言い方に、私は一生許すことができないだろう。
彼女が、好き勝手をやっている。それが、自分を「なんとかしなくては」とさせしめているのは必至だ。今の自分の状況は、彼女によってももたらされている。
だから、声を大にして私は言う。
「遊び人は嫌いだ」
・・・と。
母親の葬式の時、その兄弟の何人かもひどい。
足がしびれてがくがくしている人を笑っている人(読経中)。うちで手一杯になっているので香典返しを宅配便で失礼させてもらったら、
「こんな送り方があるか!。それが礼ってもんだろ!」
と突っ返してきた人。
もともと、その兄弟の親を面倒見に行って(うちの父親のいない間を見計らって介護をしに行った=うちの父親は、母親に対し、うちの仕事を休んでいると怒る人なのだ)、死んだ母親である。
そういう仕打ちがあるか?。
また、その兄弟の親の家は、誰のお金で建てた?。うちからお金を借りて建設したものだ(詳しくはHPの「告発」にて)。
そこに間借りですんでいるくせ、何を言っているのか・・・、と思う。
こうした兄弟がいるからこそ、うちの母親は死んでいるし、そのおかげで今の自分が造られているのもあるので、この人間たちも嫌いだ。
母親が倒れる半年くらい前、父親が交通事故で入院している。
それも(一人で切り盛りした分)母親を苦しめている。
これは父親の責任もあるが、父親の事故はどうやら相手が悪いらしいのに、うちが悪いことになっていた。
これは相手がトラックで、それと癒着のある交通課の性質もあろう。そういう意味では、警察も嫌い。
警察では、何もしてくれない・何も解決してくれない、という事象が、うちにはこれを含めて3つあるのだが、やはり信用置けない。
これも、今に何かしら関係している可能性がある。
また、同時に、その入院期間にうちに来たお客もひどかった。
「普通、ごはんを持って来たら、『これは○○です』とか説明するんじゃないの?」
「うちではしません。」
「ふっ、おかしいですね。」
「うちでは、手がありませんから。」
「それはいい訳ですね?」
「他に行ってください。紹介しますから。ここらへんでやっている低価格のお店では、だいたいそうですし、それがいやなら高級なお店にどうぞ。」
と、追い出してやったことも。
うちは、当時1泊5000円だった。これでやっていて、説明をしているような所があるか?。
もっというと別にこだわりを食事に乗せられるほどお金は頂いていないので、言うこともない。
こうした「ワガママ」な「お金を出している客だぞ」タイプの人間も今の状況を作っているのかもしれない。
本当に、人が人らしく生活をしていないこの国で、もうちょっと「人間性」を人にかけてもいいのではないか?。
それが、人としてあるべき姿では?。
これを「他人」のせいにしている、という人に限って、「人間性」を喪失している。だから、そう思った人は、一度田舎にホームステイでも行って欲しい。老人だけの家庭にでも行くと、色々としてくれるので、本当に「人間性」を見ることだろう。
だから、「他人」のせいにしているのではないのだ。自分は自分でやってきたし、これは自分を作り上げた事実の何分の一に過ぎない。
自分でも作り上げてきたことはあるし、それは了解する。しかし、こうして「積み上げられた」こうした事柄を、ちょっと「人間性」を持って対応できていたら、私はもっと変わっていたはずだ、ということを言いたいのだ。
自分は人間性をもって対応してきているし、だからこそ、こうして今もうちで面倒を見ているわけだが、それを持ってして、「逃げている」とかの意見には、完全にくみしないし、そういうことを言う人の「非人」さを憂う。
「だったらそこから(親を捨てて)出て行けばいい」
と捨て台詞を言った女の人もいる。いい加減、こういう人間の「自分の言葉の軽さ」を分からないのだろう。
「言葉」は重い。それを軽んじ、発するのは、頭の程度が軽いとしか言いようがない。
だからこそ、自分は言葉を大事にする。
「愛」を連発する昨今。
「『愛』が大切なのではない、『愛情』が大切なのだ」
と「生きるヒント」の作者・五木寛之さんは言っているが、本当にその通りで、「情」がない人が増えている、ということに他ならない。
「心」を亡くす世間の「忙しさ」に人が人でなくなる生物が増えているのか、とコーヒーのCFを見ていて、ふと思った。
結構台風って平気だ。仕事らしい仕事があるわけでもない、というのもあり、また昔からこれがイベントのような感じがして、心がどこかでわくわくした感じがある。
小学校などでの「いじめ」もあり、休めるかも、という期待もあったと思う。
自分のうちの父親は、めったに休ませてくれないので、6年で1回、41℃の熱が出た時のみで、こうした『臨時休校』を期待するのも当たり前だろう。
なお、前日(2002/07/15)の日記は、文字数が3000文字を超えたため、2001/07/15の日記分に書いてありますので、興味があれば、お読み下さい。
また、今日(2002/07/16)も文字数が3000文字を超えました。続きを去年分に書きます。
決戦が明日になり、自分はあいも変わらずぐったりとした気持ちで、「あずまんが大王」を見ているのだった。
update 16th 3:00AM
なかなか寝つけない・・・。
昨日は編集会議で出かけていたのだが、どうしても眠かった・・・。
そりゃそうよね。
ちなみに、うちには姉がいます。この人間も「いい加減」な父親を踏襲していて、男を追っかけて8年くらい前から家出をしてうろうろしているようだ。
ヤ○○のような男と付き合ったりしてて、どうしようもない人だ。
「面倒は長男が見るものだ」
とかいまどきプリミティブな話をして出て行った訳だが、そういうことを言うくせに、
「私は女だからってよくしてくれない」
などとうちに文句を言っている。どっちなんだ、といいたいが、その他にも、母親が10年前に亡くなったときに「私がなんとかしないと」とか言い、勝手に「保母専門学校」をやめている。なんと勝手な。そう誰も頼んだ訳ではない。それで、現在仕事についていないので、お金がないらしく、お金をいろいろと頼ってくる。
父親違いの兄にも頼ったようだ。
携帯電話や電気代金の請求も来ている。
去年の9月は東京に住んでいたところを、追い出されたようで、家に荷物を持ってきたと思ったら、10分もしないうちに
「彼氏んちに行ってくるから」
と玄関を出て行きながら言っていたので、別の部屋から、
「好き勝手やりやがって!」
と怒ったら、その後帰ってきていない。
だいたい、この人間、私は大嫌いだ。
母親がなくなったときの病院での話。
自分は、信じられなくて涙も出なかった。死に目にも会えず、大学受験を控え、医者から「大丈夫だろう」ということだったので、見舞いにも行けなかったのだが、それ故信じがたく、唖然としていた。
そのときのあの人の言葉。
「なんで泣かないの!」
と怒っていた。彼女が泣いていたのはいいが、本当に心から悲しんでいるとき、人は泣けないものだ。というか、悲しさよりも驚きが先に来る。そしてあとあとそのなくなった悲しみが沸いてくるものだ。
仕方ないので、そこで泣いた。
「泣かされた」ようで、正直、いい気持ちがしていないし、その「世間体」を気にした彼女の言い方に、私は一生許すことができないだろう。
彼女が、好き勝手をやっている。それが、自分を「なんとかしなくては」とさせしめているのは必至だ。今の自分の状況は、彼女によってももたらされている。
だから、声を大にして私は言う。
「遊び人は嫌いだ」
・・・と。
母親の葬式の時、その兄弟の何人かもひどい。
足がしびれてがくがくしている人を笑っている人(読経中)。うちで手一杯になっているので香典返しを宅配便で失礼させてもらったら、
「こんな送り方があるか!。それが礼ってもんだろ!」
と突っ返してきた人。
もともと、その兄弟の親を面倒見に行って(うちの父親のいない間を見計らって介護をしに行った=うちの父親は、母親に対し、うちの仕事を休んでいると怒る人なのだ)、死んだ母親である。
そういう仕打ちがあるか?。
また、その兄弟の親の家は、誰のお金で建てた?。うちからお金を借りて建設したものだ(詳しくはHPの「告発」にて)。
そこに間借りですんでいるくせ、何を言っているのか・・・、と思う。
こうした兄弟がいるからこそ、うちの母親は死んでいるし、そのおかげで今の自分が造られているのもあるので、この人間たちも嫌いだ。
母親が倒れる半年くらい前、父親が交通事故で入院している。
それも(一人で切り盛りした分)母親を苦しめている。
これは父親の責任もあるが、父親の事故はどうやら相手が悪いらしいのに、うちが悪いことになっていた。
これは相手がトラックで、それと癒着のある交通課の性質もあろう。そういう意味では、警察も嫌い。
警察では、何もしてくれない・何も解決してくれない、という事象が、うちにはこれを含めて3つあるのだが、やはり信用置けない。
これも、今に何かしら関係している可能性がある。
また、同時に、その入院期間にうちに来たお客もひどかった。
「普通、ごはんを持って来たら、『これは○○です』とか説明するんじゃないの?」
「うちではしません。」
「ふっ、おかしいですね。」
「うちでは、手がありませんから。」
「それはいい訳ですね?」
「他に行ってください。紹介しますから。ここらへんでやっている低価格のお店では、だいたいそうですし、それがいやなら高級なお店にどうぞ。」
と、追い出してやったことも。
うちは、当時1泊5000円だった。これでやっていて、説明をしているような所があるか?。
もっというと別にこだわりを食事に乗せられるほどお金は頂いていないので、言うこともない。
こうした「ワガママ」な「お金を出している客だぞ」タイプの人間も今の状況を作っているのかもしれない。
本当に、人が人らしく生活をしていないこの国で、もうちょっと「人間性」を人にかけてもいいのではないか?。
それが、人としてあるべき姿では?。
これを「他人」のせいにしている、という人に限って、「人間性」を喪失している。だから、そう思った人は、一度田舎にホームステイでも行って欲しい。老人だけの家庭にでも行くと、色々としてくれるので、本当に「人間性」を見ることだろう。
だから、「他人」のせいにしているのではないのだ。自分は自分でやってきたし、これは自分を作り上げた事実の何分の一に過ぎない。
自分でも作り上げてきたことはあるし、それは了解する。しかし、こうして「積み上げられた」こうした事柄を、ちょっと「人間性」を持って対応できていたら、私はもっと変わっていたはずだ、ということを言いたいのだ。
自分は人間性をもって対応してきているし、だからこそ、こうして今もうちで面倒を見ているわけだが、それを持ってして、「逃げている」とかの意見には、完全にくみしないし、そういうことを言う人の「非人」さを憂う。
「だったらそこから(親を捨てて)出て行けばいい」
と捨て台詞を言った女の人もいる。いい加減、こういう人間の「自分の言葉の軽さ」を分からないのだろう。
「言葉」は重い。それを軽んじ、発するのは、頭の程度が軽いとしか言いようがない。
だからこそ、自分は言葉を大事にする。
「愛」を連発する昨今。
「『愛』が大切なのではない、『愛情』が大切なのだ」
と「生きるヒント」の作者・五木寛之さんは言っているが、本当にその通りで、「情」がない人が増えている、ということに他ならない。
「心」を亡くす世間の「忙しさ」に人が人でなくなる生物が増えているのか、とコーヒーのCFを見ていて、ふと思った。
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