今日のニュースは、もう怒りで見られませんでした。

千葉で、ホームレスの人が襲われて2人が死亡して、1人が重傷。
その一方。
沖縄では、おぼれた知り合いの子供を助けようとして、12歳の女の子が、自分が力つきておぼれ、死亡。

・・・なんなんだ!これは!。

ホームレスが襲われたのは、どうも少年たちの犯行らしい。少年と少女との、こうした「人間としてあるべき姿」の根本的な違いは何か。

私は、昔から常々、母親の幼児虐待は、父親の『育児放棄』などの部分もあることを指摘してきて、それゆえの母親の犯行であることを考えてきた。
(無論例外はあるだろうが・・・。)
それを含め、男性の「自分は他人より優位」「面倒ごとは自分は見たくない」という欲求は、こうした形で顕現されてしまうことがあることを、まざまざと見せ付けられてしまった。

以前に書いた
「強い」=「かっこいい」=「いいこと」
という方程式が、まだ男性の一般的な心理的根底に存在するのは実際に間違いないと思うが、それをなくすために、自分は「男性は男性らしく」などという議論を排斥して、ここまで活動をしている。
しかし、勿論それは浸透して行く訳でもないので、こうして事件があとを継たない。

一方。
「人間くささ」=「女性的」
という方程式について述べたが、これもうまく今日のニュースでは顕現していると思う。
彼女は、おそらく本当に優しい子供だったろうと思う。そういう人ほど、早くに亡くなることが多いのが、私は残念でならない。
「優しい」
「人間臭い」
など、都都逸や浪曲の世界ではあることかもしれないが、それは大事にして行きたい。

現在の子供たちに、
「臭い」=「恥ずかしい」=「かっこ悪い」
というような方程式が成り立っているのは、学校のトイレで大便をできない男子が増えていることからも理解ができようが、とにかく、人間臭さを「悪」としている最近の風潮には、私は将来を悲観してしまうのであるが、そうはいっても、やはり自分は地球の片隅でも叫ぶしかない。

死刑制度は私は賛成をしないけれども、それにしたってこういうひどい事件を見ると、「早い犯人の逮捕を」を願って止まない。
そして、こうしたことは「必然的に罰せられる」のであり、社会的に「悪い」ことだと、きちんと反省させる必要がある。
そして、12歳の女の子が、向こうの世界で「人間って冷たい」と下界を見下ろして言われるのは避けよう。

やはり、自分は、微力ながら変えて行くためにも、議員とか物書きとか、そういうものになることを心から誓いたいと思ったのだった。

いい子ぶりっ子・・・と揶揄する人がいることでしょう。
そういう人に問いたい。
あなたは何?。
人間ではないの?と。
人間は、考える葦である、とパスカルは言った。これを肝に銘じたら、いくら「心で思っていても」言えないことがたくさんあるし、やれないこともたくさんある。

人間の中に、「他生物を殺したい」という欲求が「狩猟」をかつて全員が人間はしていたので、あるのは仕方がない。
が、人は、そこでそれはいけないと考えられる。
そのために、きちんとした行動ができる。
それができない人は、もはや人間ではない。
いい子ぶりっ子と考えて、他人を揶揄する前に、自分の行いを正さないと、それは人としても間違っているし、それはいつかは自分にめぐってくる。
・・・人間とは、なんなのか、を改めて考えて欲しく思う・・・。

恐ろしく長い「長屋の義太夫」でした。

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